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PostPosted: Wed Oct 27, 2010 8:59 am 
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2010年10月2日をもって旧日本語掲示板は閲覧不可となりました。こちらではバンドメンバーによる記事の和訳を幾つか再掲載しています。

・WW&W ダニー編 
・WW&W ルーク編 
・WW&W ハリー編 
・WW&W   ベン編 
・WW&W  クリス編 

・2008年5月31日 ラジオ・インタビュー-ダニー
・2008年7月14-17日 "The Hop, Skip And A Jump Tour" ブログ
・2007年7月17日 "Masters Of Rock" レポート

・2007来日記念 アンケート 
・2007来日公演 レポート by ダニー

・"Robert Johnson’s Tombstone" アルバム Track By Track (収録曲の解説)
・2006年 "UK tour" ブログ 


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 Post subject: Re: 閲覧用 メンバーによる記事 アーカイブ/ WW&W、ツアー日記 etc. 和訳
PostPosted: Wed Oct 27, 2010 9:15 am 
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メンバー執筆コラム WW&W 和訳(ダニー編)

"MISERY WITH AN L PLATE - LEARNING TO DRIVE" (2004年12月28日掲載)

ダニーの運転免許取得の奮闘記です。(タイトルの "L PLATE" の "L" は learner の略で、日本の自動車教習所の教習車についている『仮免許練習中』のプレートのようなもの。このプレートはガソリンスタンドなどで売られています)。
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車の運転を習うことは僕の人生でもっともトラウマを伴う体験の一つだった! 車には小さい頃から夢中だったし、習いたくてたまらなかったんだ。運転のことを考えただけで体がうずく程だった。

一度、トランクから物をとってきてあげるという口実で、祖父の車を動かしたことがある。僕は "社会奉仕型" の良い子なんかじゃなかったからね、ちゃんと策略があったんだ。トランクから物を出した後、運転席に座って、時速100万マイルで道路をすっ飛ばしている 自分を想像した。でもそうしてるうちに、ついキイをイグニションに入れる誘惑に負けちゃったんだ。車が僕に運転してもらいたがっていて、僕にはもう自由意 志などなかったんだ。あ、この時僕は13歳で、運転の仕方なんて全く知らなかったってこと、憶えておいてね。(13歳の頃って、何でも知っているつもりで 実は何も知らなかっただろ? ま、どのみち同じことなんだけど。)

キイを一つまみ回すと(失敗その1)ダッシュボードの灯りがつき、僕の鼓動は心臓が体から飛び出すかと思うほど激しくなった。もう一つまみ回すと (失敗その2)、今度はすぐ前に停めてあった車の後部に頭から突っ込んだ。ぶつかる音がすさまじくて、そりゃあ、ぞーっとしたよ。今では祖父がファース ト・ギアに入れたまま駐車する癖があったのを知っているけど、(ハンドブレーキに欠陥のある古い車に長く乗っていたせいだ)、その時は完全にパニくって て、車自体に問題があると思ってた。車から飛び降りて損傷の程をチェックしたら、そこらじゅうに壊れたヘッドライトのガラスの破片が落ちていた。家に駆け 戻り、気を落ち着かせて彼にトランクから持ってきた物を渡して、まるで何事もなかったかのように振る舞った。この恥を今の今まで抱えてきたけど、いま打ち 明けて気が楽になったよ。

17歳の誕生日に仮免を取ってすぐ、なけなしの稼ぎが許す範囲で、なるべく沢山のレッスンを受けた。週に一回、60分。でもすぐに全く上達してい ないことに気が付いた。レッスンはその前の週に習ったことを思い出すことだけで終わってしまい、まったく絶望的だった。でもへこたれはしなかった。だっ て、あの頃は運転できることが何よりも重要だったし、そのことにすっかり心を奪われていたからね。運転さえできれば、ドライバーとして仕事ができる上、ワ ゴン車まで付いてくる。(もっと科学的な方程式でいうとこうだよ。運転免許証=仕事=ワゴン車+バンド=増えるギグ=女の子+セックス=限りなき歓び)。 実地試験の予約を取るのはすごく時間がかかるって聞いてたから、まだ準備もできていないくせに申し込んだ(失敗その3)。テストの日が来る頃には僕が地球 上で一番能力のある生徒であることを期待しながら・・・。でもこれはひどいプランだった。だって、その日は実に早く来てしまったんだから。僕は、準備がで きていないなんて認めたくなかったから、テストを受けたけど、当然ながら悲惨な結果で落ちた。僕の夢は奪われ、何週間も惨めに過ごし、僕を元気づけてくれ るものなんて何もなかった。僕の人生はおしまいだった。

その内やっと "失意のどん底" から浮上し、もう一度トライしてみることにした。でも今回は違うやり方でね。その頃、母も運転を習うことを決め、父が彼女に古いミニ( Mr. Bean のと同じ車だよ)をプレゼントした。その車で母と僕は練習を始めたんだ。一度、たった一度、父と練習に出かけたが(失敗その4)、彼は息子の運転の腕前に 大爆笑するばかりで、僕は直ちに、今は馴染みとなった "失意のどん底" へ、自己嫌悪をお共に沈んでしまった。こうして、世の中と、世の中の運転できるすべての人たちを憎みながら何週間かが過ぎた。どうして彼らには出来るのに 僕には出来ないのか、不思議でたまらなかった。僕がどんなに彼らを殺してやりたいと思っているかなんてつゆほども知らず、楽しそうに幸せそうに運転する彼 らを、僕はただジイッと見ていた。が、その内に(そして、ありがたいことに)このドロドロの時期も終わり、そう間単に降参するタイプじゃない僕は、次の方 針を立てることにした。

すでに免許を持ってる職場の友達をつかまえ、毎日、仕事場まで運転させてくれるよう説得。これでやっと必要な練習ができるようになった。その内に かなり自信がつき、もう一度テストを受けようと決心した。全てが首尾よく進み、そしてその日がやってきた。試験場で友達のロニーを降ろした時は成功をばっ ちり確信していた。それから試験官と母のミニに乗って走り出した。テストは、殆ど終わりの頃に左折(失敗その5)するように言われるまでは完璧に進んだ。 正しい操作でちゃんと左に曲がったのに、あろうことか車はそのまま直進した。ステアリング・ラックが壊れていたのだ。車が時速30マイルの速さで進む中、 試験官は怒った顔をして、どうして指示を無視したのかと尋ねた。僕は少し慌てながら指示は無視していないと説明し、再度左折して見せた。けれどやはり、進 んでいる方向が真っ直ぐであることに変わりはなかった。彼は「なんてことだ、車を停めろ!」と怒鳴った。僕は落ち着いて、ミラーを見て、ウィンカーを出 し、きちんと車を停止した。とてつもなく長い間、どちらもひと言も発せず、ただじっと座っていた。やっと口を開いた彼は、僕の車が路上で運転されるべきで はないという理由で、不合格と告げた。完全に言葉を失ったまま、歩いて試験場まで戻ったが、心の中で "失意のどん底" がふたたび僕を呼んでいた。

再びテストを申し込んだが、今回は試験官が病気で(病気だったと言うけど、ほんとは駐車している僕のミニを見て逃げたんだと思う)取りやめになった。次のテストの日がやってくるまでの6週間、僕はずっと "どん底" に沈んだままだった。

そんなこんなで、僕にとっての運転免許取得は楽しい経験なんかじゃ全然なかった。やっとの思いでパスしたその日でさえ、究極の幸せのその瞬間にも ネガティブな色合いは漂っていた。テストが終わり、パスしたことを待合室で待っていた父に伝えようと、僕は走って試験場に戻った。勢いよくドアを開け、 「お父・・・・!」と思いっきり派手に叫んだ。でもそこは空っぽだった。父はインストラクターのみんなと一緒にコーヒーを飲みに行ってしまっていたのだ。 後ろからやってきた僕の試験官が、みんなの居場所を教えてくれたので、僕はそのカフェへ行き、二度目の「お父・・・・!」をやることになった。二度目だっ たから、イマイチ盛り上がりに欠けたけど。みんなが拍手喝采してくれたそのとき、僕の "失意のどん底" はスーッと消えていった。

もちろん、あれからも辛い目には遭っているけど、あれほど耐えがたいことはなかったよ。

教訓・・・一度目でうまくいかなきゃ、バスに乗れ・・・

ダニー
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補足   イギリスでも仮免許取得後、免許を持った同乗者がいれば L PLATE をつけて公道で練習をすることができます。日本と違うのは教習や本試験でも自分の車を使ってもよいこと。日本の自動車教習所に当たるものもイギリスにはあ りませんので、普段の練習に使って慣れている自分の車で試験を受ける人も多く、ダニーもお母さんのミニで試験に臨み、この悲劇(笑)に遭遇したようです。 ちなみに、自分の車がなくても、インストラクターの車で教習や試験を受けることも出来ます。



"Into Every Life Some Pain Must Fall..." (2002年5月28日掲載)
 
"痛み" とは長い付き合いだというダニーのケガの経歴です。
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これは何年か前の Thunder ツアーブックに書いたものに少し手を加えたものだから、もし君がとっくにそっちを読んでいたら、ごめんね。でも、何を書こうか、他にアイデアが出てこなくてね。それに、これには今でも笑えるし・・・。

幼い頃の僕はアクシデントを起こしてばっかりの子どもだったうえ、知りたがり屋で騒々しくて、寝ても醒めても何かしら企んでる(誘いには簡単に乗ってしまうし)男の子だった。そしてコンスタントに何らかのトラブルや苦境のただ中にいた。例えばこんなふうに・・・

3歳..."黒くてでっかいクルマ" 事件
近所に住むにいちゃん達は僕がまだチビだからというのでサッカーの仲間に入れてくれなかった。それでも、ボールが道路に飛び出した時だけは拾いに行かせてくれた。僕は、みんなを喜ばせたいばっかりに、クルマが向こうからやってくるのにも気づかずに、盲目的な情熱でボールを追いかけた。いうまでもなく僕はク ルマに衝突、フロントバンパーをくちびるに突き刺したまま何ヤードか引きずられ、口と頭にできたケガを縫ってもらうために West Ham 病院に舞い戻った(僕はこの病院で産まれたんだ)。今でも傷跡が残ってるし、口の左側には感覚がない。

5歳...水泳のレッスン
隣のにいちゃんが僕に泳ぐことの驚異を初経験させてやろうと決心した。僕はものすごく興奮しながら海水パンツに着がえ、二人でプールに入っていっ た。深い方へどんどん進みながら、彼は僕の顔が水の中に入らないように注意深く支えてくれていたけど、一番深いところに辿りついたと思ったまさにその時、 僕に「魚になったつもりでやってみな」と言って、いきなり手を放した。僕はバシャバシャッと大量の水をはねて大いにパニくり、そのうえガブガブ水を飲み、 それから沈んだ。助けてくれたライフガードはプロそのもので、僕を引きあげてその場で肺に入った水を吐かせてくれた。僕は母に行き先を告げてこなかったか ら、家に連れて帰られた時、どえらいお仕置きを受けることになった。

6歳..."122番バスの下の三輪車"(・・・よくある話だよな)
隣の悪ガキ(上のと同じヤツだよ)が我が家にやってきて、僕の三輪車に付いてるブレーキをペンチで取り外そうと決心した。(なんか変だって? で も彼は、そうしたら三輪車がスピードレース用のバイクになるぜ、と言ったし、それに水泳だって教えてくれたんだからね)。もちろん賛成したよ。で、そのこ ろ僕の家族はロンドン南部の Plumstead High Street にある店の階上に住んでいたんだけど、その地域は丘が多くて坂は急で・・・

僕らはこのクールな乗りものをテストするのにパーフェクトな方法を考えた。それは僕(彼、ではない)が坂のてっぺんから一番下まで、コーナーでは出来る限りの速さで曲がりきって走り降り、その後で家に帰ってミルクとビスケットのおやつを食べよう、というものだった。彼は坂の下で僕がスタートするの を待っていた。今でも覚えてるよ、僕がコーナーを曲がりきれずにいた時に、ヤツが意地悪くニヤッと笑った顔をね。僕は大通りの歩道から車道に飛び出し、 Forest Hill 方面に向かう122番のバスの下に突っ込んだんだ。ラッキーなことにバス停を発車したばかりだったから、運転手はすぐにストップすることが出来た。三輪車 は大破、僕はアザを作ってショック状態だったけど、これでことが済んだわけじゃなかった。親切でおせっかいな二人の年配のご婦人方が僕をバスの下から引きずり出して家まで引っぱって行き、息子をしっかりコントロールしていない、と言って母を叱り始めた。この結果、またもや僕は早くベッドに行かされるにはめ になり、おきまりの "耳を平手でピシャリ" というお仕置きを受けることになった。その後、アイツとは決して再び遊ぶことはなかった。それどころか・・・

8歳...けんかのビギナー
いま振り返ってみれば、あれは実際に避けがたいことだったと思う。隣のアイツは僕に随分と色んなことをやってきたんだから、生まれて初めての喧 嘩の相手となったのも完璧に自然なことに思える。ただ、当時はもう隣人ではなかったし、僕ははるかに大きくなっていたけどね。おおぜいの仲間の面前で僕がアイツにからかわれたのは、ずいぶん長いご無沙汰の後だった。それにアイツはきっと以前のように僕が怖がって逃げるとにらんでいたんだと思う。しかし、マ ウス(僕のことだよ)は吼えた! 生まれて初めてのことだったと思うけど僕は徹底的にカーッ!となってアイツをこてんぱんに打ちのめしたんだ。しっぽを巻いてアイツは逃げ、僕は勝ち誇り、仲間に大ウケ・・・というところにアイツの兄貴が現れて今度は僕がやられる番だった。その時、けんかというのはつくづく無益なものであると学習したよ。ついでに兄貴がいるのは便利である、ということもね。

"痛み" のまとめ
オッケー、ここまでのところ、僕の子ども時代も他の男の子とおよそ似通ったものに思える。だけど、まだあるんだよ。アクシデントやケガについて は、実のところ誰だって皆それぞれに自慢できるような話があるだろう。でも、もしも "痛み" というものが菓子屋のクリームケーキだとしたら、僕はクラスで一番太った子どもになっていたに違いない、という理論を証明するのに下のリストは大いに役立 つと思うんだけど、どうかな? 

・車/バスと衝突:9回(これはまったくの事実だよ)
・オートバイと衝突:1回
・腕の骨折:1回(学校のロッカールームのコート掛けから転落・・・)
・つま先の骨折:2回
・両親指の骨折:2回(ラグビーで1回、サッカーで1回)
・肩甲骨の骨折:1回(サッカー)
・ひざ頭のヒビ:1回(鉄制の梁にぶつかって)
・指の骨折:1回(電車のドアにはさまって)
・ネジ回しを顔にねじ込む:1回(触るな、という父の注意を無視して・・・)

ケガ一覧表に対する屈辱
それでもまだ足りないというのなら、こういうのもある。

・二階建ての建物の屋根から落ちた。
・スーパーマーケットのカートに乗って運河に飛び込んだ。
・大きな、店のショーウインドーに頭から投げ込まれた。

きっと君たちは僕のことをこんなじゃないかと思ってるんだろうね。

A.単に不運?
B.信じやすく乗せられやすい?
C.ただの間抜け?
あるいは
D.精神のバランスがくずれてる?

どれも当然の疑問だし、その答はたぶん「上のすべては正しい」だよ。

この悲惨な物語のすべてが真実であることを僕は心から誓うよ。本当のところ、わざと省略した "痛みの詰まったイベント" は他にもたくさんあるんだけど、みんなもここらできっと、いくら楽しいものでも、多すぎちゃ食傷だよ、と思っているだろうからね。それに嵐がやってくるみ たいだし、タイプしてる間に感電するなんてごめんだから・・・

じゃあね。

ダニー


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PostPosted: Wed Oct 27, 2010 9:27 am 
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メンバー執筆コラム WW&W 和訳(ルーク編)

"LUKE’S JAPAN TOUR DIARY"  (2005年7月11日掲載)

2005年夏に5年ぶりの来日公演を果たした THUNDER。その際のルークによる日記を紹介します。
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2005年6月27日・・・出発 
午後5時半にヒースロー空港第3ターミナルに集合、午後8時発の JAL 422便で出発。大阪到着は明日の午後4時10分の予定。同行するメンバーはバンドの他に、ツアー・マネージャーのマーク・ハリス、音響のピート・ラッセ ル、撮影の(時には手品もする)マーク・ウィルキンソン(以下マーク・W )。

日本へ行くのは好きだけど、脚の置き場に困るエコノミー・クラスでの12時間というのはちょっとキツイ。うとうとしながら、何とか2時間ほどを過 ごす。僕がまだ見ていない、いい映画が2本ほどあればいいのに、と思っていたけど、それは "Hitch" (*邦題「最後の恋のはじめ方」)だけで、とりあえず見てみたが、ごく簡単に予測のつくストーリーだった。それから、既に見ていたとはいえ、あと3時間を つぶすには好都合なので "Million Dollar Baby" (*邦題「ミリオンダラー・ベイビー」)も見る。

6月28日・・・大阪到着
定刻どおりに関空に到着。空港では古くからの友達であり、通訳で、コーディネイターのトム・タオと、プロモーター側の代表であるエイミー・イダが 出迎えてくれる。エイミーとは初対面だったけれど、とても親しみやすい女性で、今まで何回も日本に来ているというのに(僕の場合は16回)日本語がさっぱり
分からない僕たちは、彼女の流暢な英語にひと安心する。

ミニバスで宿泊先の大阪のホテルへ。ここには以前にも泊まったことがあるけれど、内部はすっかり改装されている。以前は豪華な黒大理石を使った退廃的雰囲気のする広いバスルームが付いていたが、残念なことに、部屋はより狭くなり、バスルームもひじょうにありふれた内装になっている。たった一つ変わらないものがハイテクなトイレだ。冗談じゃなく、このトイレの仕掛けには実に驚かされる。当たり前の機能のほかに "あなたのご気分によって" 温度調節のできる便座と、ビデ代わりの温水シャワー付きだ。初めて日本へ来た15年前もそうだったように、今だってこのトイレには感心してしまう。

午後7時に、今回一緒に仕事をする日本のクルーとのプロダクション・ミーティングのために集合する。トムが慌しく通訳しながら、メンバーそれぞれの要求・要望をざっとまとめる。彼自身が秀でたギタリストなので、全ての用件をきっちり把握してくれる。

その後、夕食に出かける。これはいつも日本でツアーする時の一番の楽しみだ。どこで何を食べるか、その選択に落胆させられたことは一度もない ので、ホストの判断を信じればいいことは既にみんな知っている。今夜の驚嘆すべきハイライトは豚挽き肉とにんにくのギョウザで、みんなすっかり気に入ってしまい、「頼むから、もうやめてくれ!」と悲鳴を上げるまで注文し続けた。すべては大量のビール、その後の少々の熱燗とともにお腹に納まった。

その後、今夜の仕上げとして大阪でお気に入りのロック・バーに寄る。この店は古くからの友達が経営する、素晴らしい音楽をかけてくれる小さなバー で、スタッフのみんなは非常に親しみやすく、いつも楽しげだ。壁には長年にわたり、ここへ飲みに立ち寄った全てのバンドのポラロイド写真が飾られている。 僕とダニーとマーク・W は最後まで居残り、朝の4時半に退散。もちろん時差ボケのせいだ!

6月29日・・・大阪公演(会場:Big Cat) 
午後12時半起床。日本にやってくる時は大概ひどい時差ボケに悩まされるというのに、この時間に起きられるとは驚きだ。二日酔いは幸いにもごく軽 く、2時15分にロビーに集合して今夜の公演会場の Big Cat へ向かう。サウンドチェックではハリーのドラムキットのピースが一つ見つからず、次の名古屋のショウまではどうすることもできないということが分って少々弱る。いつもの通り前座はないので、午後7時には開演。日本での開演時間が常にイギリスよりも早のは、人々を、夜遅くまでは走っていない電車に乗せるためだ。しかし、110分のショーを終えて楽屋の椅子に座ってみるとまだ9時、というのはどうも妙な気分だ。

ショウ自体はいい具合に進む。ただ僕のクルーが "Love Walked In" でアコースティック・ギターを片付けるタイミングにまごついて、それが必要な時に舞台のそでに消えてしまうということはあったけれど。後で彼はひどく恐縮 して謝っていたが、全体的に言って、僕とハリーのために素晴らしく立ち働いてくれたんだから、そんな必要は全くない。もう一つ、些細な不満というと楽屋 のエアコンが効いてなかったことだ。普通は問題じゃないけど、気温が華氏80度台の上あたり(*摂氏30度以上)で湿度が90%という時には、控えめに言っても少々汗だくだ。たった一つのプラスは、ダニーの声には良い作用をもたらすということで、彼は全然気にならなかったようだ。

いつもショウの後にはファンとの Meet & Greet をしているけれど、イギリスとは様子が違う。バンドはテーブルの向こう側に座り、ファンが一方のドアからやってきて僕たちの前を順序正しく進み、他方のド アへ移動して行くという、とても整然とした非常に日本的なスタイルだ。参加しているのは殆どが女性ファンで、中にはとても緊張しているファンもいる。彼女達はバンドのメンバーと一緒に写した写真を見せてくれるのが好きだが、僕はいつもちょっと奇妙に感じる。そして彼女達は、優しいことに、よくプレゼントを 持ってきてくれる。

今夜の夕食はしゃぶしゃぶ。伝統的な日本食で、テーブルに置かれた、沸騰したダシ汁の入った鍋に薄切りの肉や野菜を入れて火を通し、色んな味の ソース(ナマ卵だけ、というのもある!)につけて食べるものだ。本当においしくて、みんなお腹いっぱい食べてしまう。それから1、2杯飲むために昨夜寄ったロック・バーまでぶらぶら歩いて行き、僕は午前3時半にベッドに入る。

6月30日・・・休日
ホテルを1時に出発、午後の新幹線で名古屋へ向かう。時間にして1時間半ほどだが、新幹線での旅は素晴らしい。ほぼ時速200マイル(*約 320km)で走るので、電車というより飛行機に乗ってるみたいだ。清潔で、大変心地良く、いつも時刻通りに運行されている。iPod を聞きながら過ぎ行く郊外の景色を眺めていると、早々に眠りに落ちてしまい、名古屋到着と同時に目が覚める。

いつものミニバスに乗ってホテルへ向かい、チェックイン。部屋は清潔とはいえ、狭くて、どこでどうやってスーツケースを開けようかと思案する。どうやら肘掛け椅子の上にそれを置き、僕がベッドの上に立てば、部屋から出ずに済みそうだ。「まったく困ったロック・ミュージシャンだよ、いつもなんにでも 文句言ってるんだから」と言われそうだけど、僕のように、たくさんのホテルでの宿泊経験がある者には、バスルームに行く度に危うく自分の首を切り落としてしまいそうになるというのは、ちょっと腹立たしい。でもまあ、少なくともベッドは快適だし、ホテルは街の真ん中にあるし、よしとしよう。

午後いっぱい何することもなく過ごし、夕方にはトムに連れられて、この土地の名物である手羽先の有名店で夕食を。これも又とても美味しい。その 後、地元プロモーターから招待を受けたビアガーデンまで歩く。トムがひどい方向オンチで遠回りすることになったが、食事の後に歩くことも、夜の名古屋の繁 華街を見てまわることも共に楽しいことなので苦にする者はいない。午前2時半、ちょっと早めながらホテルに戻る。

7月1日・・・名古屋公演(会場:E.L.L.)
ゆっくり眠り、昼ごろ起床。朝食をもとめて外に飛び出す。今日もまた暑くて湿気の多い天気だろうとTシャツ、短パン、サンダル姿で出かけてみたら、意外や外は曇りで霧雨だ。Bugger! 道でハリーと会ったので一緒に ATM のある銀行まで歩き、近くのセブン・イレブンでおもしろそうな食べ物を物色、いろいろ買って部屋へ戻る。

午後2時15分、ホテルを後にして今日のライヴ会場である E.L.L.( Jimi Hendrix のアルバム "Electric Ladyland" から命名されたという)へ。ゆったりリラックスしてサウンドチェックを済ます。この会場の設備も、多分にもれず日本での基準通りの立派なものだ。ステー ジ・ライトの数も Wembley Arena (*ロンドンにあるコンサートホール。収容人数は約12,000人)を照らし出すのに充分なほどあり、サウンドチェックの間、ダニーは冗談まじりに、"本 番で、あれだけの量のライトに焼かれて料理されるんだから" と照明担当を "シェフ" と呼ぶ。

サウンドチェックの後は、写真を何枚か撮るために付近のお寺まで2、300ヤード(*100ヤードは約90m)歩く。会場の辺りに集まっていた20人 ばかりのファンがついてきて、写真を撮ったり、サインのために色々なものを差し出してくる。お寺に着き、階段を昇って建物の中を見る。ごく無意識に、この寺は何百年もの間ずっとそこにあったのだろうと思ったけど、実際にはこの建物はレプリカで、1970年代に同じ場所に建てられたものだった。日本の国土の大半は第二次世界大戦中に激しい爆撃を受け、古い建築物などもほんの僅かしか残っていないのだ。

今夜もショウはとてもうまく進み、ふたたびの上々の夕食のあと、オーストラリアン・バーにちょっと寄ってビールを数杯。

7月2日・・・川崎公演(会場:クラブ・チッタ)
10時45分にホテルを出て、新幹線で横浜へ向かう。横浜からはミニバスに乗って、次の2回の公演会場である川崎のクラブ・チッタに着く。過去10年ほどの間に何度もここでは演奏してきたが、2002年に Bowes & Morley で来日した後、建て替えられている。新しいビルは素晴らしく、ひじょうに実用的な24トラックのスタジオや、ビデオが編集できる部屋も設けられた。演奏するホールも見かけは変わらないが、音響は良くなっており、楽屋の数も増え、広くなっている。

サウンドチェックはごく順調に進み、6時の開演まで2時間の空きができたので、ハリー共々レコーディング・スタジオのコントロール・ルームにある大きなソファの上で、短い昼寝をすることにした。

ショウは上出来だ。オーディエンスはあるべき時には驚くほど騒々しく、静かな時にはシーンと静まりかえる。"Don’t Wait For Me" の出だしでは針が1本フロアに落ちても聞こえそうなほどだ。それはバンドに対する尊敬なんだろうけれど、日本以外の国々での、ライヴの始めから終わりまでずうっと叫び、はやし立てる観客に慣れているバンドとしては妙に戸惑ってしまうものだ。今夜は両レコード会社( Toshiba / EMI と JVC / Victor )も会場に来てくれているので、もちろん非常に嬉しく、ショウもとても上手くいった。

ライヴ会場から、いつも泊まる六本木のホテルに移動。六本木という所は国際色豊かな、パーティに恰好の地であり、ちょうどロンドンの Soho 地区と同じようにバーやクラブ、レストランが軒を連ねている。

高揚した気分で夕食へ。今夜は韓国焼肉で、これもまた、薄くスライスされた色々な肉と野菜をテーブル上の鉄板で焼くという、自分で料理するタイプ のものだ。ダニーと二人で、涎が出てきそうに軟らかでひときわ美味しいこの肉の確かな出どこを調べてみたところ、牛の横隔膜(ハラミ)であることが判明。 だけど、これを知ってしまってはハリーもマーク・W も、あれほど幸せそうに平らげてはいられないだろうと思い、夕食が終わるまで教えないことにした。

食後は、「明日のライヴ録音のために喉を大事にしたいから」と真面目にホテルへ戻るダニー以外の全員で、東京で一番気に入りのスポーツ・バーまで歩く。僕らの内の二人ほどは、クリケットの決勝戦、イングランド対オーストラリアを楽しみにしていたのだけれど、残念なことに放送はなかった。バーには ヨーロッパ、オーストラリア、アメリカからの人間が大勢集まっていて、本当に国際都市にいる気がする。前に来た時に会ったバーのマネージャーが僕を見て思 い出してくれたので、しばらく話をする。彼はシェフィールドの出身で、僕らに大量のジントニックをサービスすると言って譲らない。いいヤツだ! おかげでバーを出るのがとても遅くなり、何時だったかは思い出せないけど、外ではすっかり夜が明けていた!!!!

7月3日・・・川崎公演(会場:クラブ・チッタ)
会場に出かける前に、マーク・W と会って紅茶を一杯。二人とも少々二日酔い気味だ。そこで、スーツケースをさぐり、僕の期待にいつだって応じてくれるアスピリンを運良く見つける。日曜日 であるため川崎への移動は週日ほどには時間がかからず、40分ほどで到着。サウンドチェック中、セットリスト(UKツアーのものと同じ)を少し変更することになり、"Stand Up" を "River Of Pain" に、"Love Walked In" を "Until My Dying Day" に取り換える。1回目のアンコールは長い間演奏していなかった "She’s So Fine" で始めることにしたが、エキストラの1曲をどれにしようかと悩む。"All The Young Dudes" と "Pinball Wizard" を即興でプレイし、最後に、"勢いがあるから" という理由で "Pinball Wizard" をセットに加えることに決める。

ショウは今夜も上出来。昔からの友人である、ジャーナリストの伊藤政則氏が親切にもシャンペンを持ってきてくれたので、みんなでツアー終了を祝って乾杯する。

2時間ほど続いた Meet & Greet の後、ホテルに一旦戻り、最後のディナーに出かける。連れて行かれたのは映画 "Kill Bill " のセットのような、驚くべき和食レストラン。タランティーノ監督が実際にこのレストランにやってきて、映画のレストランでのシーンの基をここで作った、という話を後で聞いた。そして、ここはどうやらブッシュ大統領が前回日本を訪問した時に、日本の首相と食事をした所でもあるらしい。

ディナーが終わった午前2時半には全員すっかり酔いがまわり、それぞれお世話になった人たちと別れの挨拶を交わし、疲れてはいても満ち足りた思いでホテルに戻る。

7月4日・・・帰国
正午出発の JAL 401便に乗るため、午前9時にホテルを出て10時15分に成田に到着。いつもは有能な日航のカウンターだが、今日はうまくいってないようだ。こちらがグ ループで旅行しているのが分からないらしく、チェックインに1時間もかかる。月曜日が、新入社員が一般客相手に習ったばかりの技術を練習するトレーニング の日であるのは明らかだ。ようやくチェックインを済ませ、トムとエイミーに別れを告げ、ゲートの中へ。飛行機は40分遅れており(泣き叫ぶ子どものせいで それより長く感じたが)、ベニー、ピート、マーク・W と一緒に満席の飛行機の後方の席にたどり着くと、なんと、さっきの泣き叫び、飛び跳ねる子どものすぐ後ろが僕らの席だった。親には制止できないらしく、子どもは相変わらずの状態だ。ピートは怒りに顔を赤く染め、マーク・W は絞殺をほのめかし、ベニーと僕はそんなことは実際に起きてないようなふりをする。どこか、この厄難から逃れられるところに空席がないかと前方の席を念入りに見てみたが、ひとつも空きはない。

飛行機が飛び立ったところで今まで感じたことのないような激しい乱気流にぶつかった。僕は普段は神経質な客じゃないけど、これは相当なものだった。 マーク・W は揺れる度に悲鳴を上げ、ピートは怖がるマーク・W を見て喜び、僕はマーク・W を笑いながらも椅子にしがみついて、一刻も早く揺れが治まるのを祈るばかりだった。後ろにいたクリスを見てみると、顔を真正面に向けたまま言葉はなく、顔色はおかしくなりかけていた。このパニックの間、信じられないことに例のガキは静かだった。

残りのフライトは、はた迷惑な赤ん坊の叫び声がたまに聞こえたり、時折、乱気流に揺れたりしたけれど、離陸時ほどの大きい揺れはなく、午後4時35分、僕らは無事ロンドンに着陸した。

ルーク
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こちらで写真もご覧下さい。
http://www.thunderonline.com/site/index ... &Itemid=94


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メンバー執筆コラム WW&W 和訳(ルーク編)

"Childline Rocks Diary" (2008年3月14日掲載)

2008年3月13日にロンドンは Indig02 にて開催されたチャリティー・ショウ "Childline Rocks" についての、ルークの日記です。
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2008年3月10日(月)
リハーサル初日。午前11時、Terminal Studios に僕、ハリー、ベン、クリスが集合。THUNDER のセット( "Loser"、"River Of Pain"、"Low Life In High Places"、"ILYMTR+R" )を合わせる。正午、ダニーが到着。もう一度 "Loser"、"ROP"、"ILYMTR+R" をざっと流し、"Low Life In High Places" については3月12日に行われる公演会場でのプロダクション・リハーサルまでしないことに決める。
(注:本番では "Low Life In High Places" の代わりに "Love Walked In" が演奏されました)。

午後3時に到着予定のロジャー・ダルトリー(以下、ロジャー)と、The Who の曲を何曲か演奏するのが楽しみだ。数日前に彼の片腕であるボブ・プリッデン(以下、ボブ)と話し、The Who の3曲( "Pinball Wizard"、"5.15"、"Substitute" )を準備しておくことに意見が一致した。午後1時、ボブから電話が入り、ロジャーは "Kids Are Alright" をやりたがってる、と言う。僕は The Who のアルバム・コレクションを取りに大急ぎで家に帰り、スタジオに戻ってダニーにロジャーのパートを歌わせ、この曲を手早くけいこする。

午後2時、ボブが Terminal Studios に到着。彼はロジャーに先駆けて送り込まれてきたが、これはきっと僕たちがクズのバンドじゃないかどうか、確かめるためだと思う。ロジャー到着の前 に、"Behind Blue Eyes" もさらっておく。やがて現れたロジャーと、"Kids Are Alright" を通しで演奏、歌のおわりの部分に加えられたアドリブがいい感じだ。彼はかなり緊張気味だが、僕らを全く知らないということを考えれば、もっともだと思 う。少々ぎこちないが、それでも、"Kids Are Alright" と "Behind Blue Eyes" を演奏し、最後にエルヴィス・プレスリーの "Train, Train"(注:"Mystery Train" ではないかと思います)をジャムして終える。彼はこの曲を本番にやるべきだと言うけれど、僕には確信が持てない。ここに来た時よりもリラックスした様子で 帰ってゆくロジャーの姿にホッと一息。

2008年3月11日(火)
午前10時半、Terminal Studios に到着。プロダクション・マネージャーのエイドリアン・バスケットフィールド(以下、エイドリアン)と手短に最新の情報を交換。彼とはここ数週間、日に何度も話してきた。彼はこのショウの実務に関するすべてを手がけ、僕は音楽部門のコーディネートが担当だ。すべてがスムーズに進んでいるので、ありがたいことにストレスのレベルも低いままだ。

ギターをチェックする。色んなスタイルのアーティストが携わっているため、僕はいつもよりたくさんのギターを使っている。

正午、イアン・ペイス(以下、イアン)が到着。自分のドラムキットを組み立て始めたが、これは僕にとっては予想外だった。彼には以前、Deep Purple との仕事中にちらっと会ったことがあるけれど、ほんとに飾らない、面白い人だ。Deep Purple は南米ツアーを終えたばかりで、彼は、26時間前に最後の公演地であるベネズエラを飛び発った、と教えてくれる。当然ながら頭が少々ぼんやりの彼に、僕たちは濃いコーヒーをしつこく勧める。このイベントにボランティアを申し出、演奏してくれるのは本当に立派なことだし、一日中、絶えず冗談を飛ばしている。いい人だ!

午後1時、グレン・ヒューズ(以下、グレン)が到着。彼はイアンとはもう30何年も一緒に演奏していないし、僕が、この2人が揃って出演していた "Burn" アルバムをプロモ中のDeep Purple を Lewisham Odeon で見てから34年になる。変な感じ!

"Mistreated" をリハーサル。グレンは、彼にしかできないアドリブの技を駆使して歌い終える。かなりの高音だから、ロンドンの SE1地区にいる犬の大半はしばらく面食らっていたに違いない。それから、ダニーがデイヴィッド・カヴァデール役を引き受けて "Might Just Take Your Life" を合わせる。すべてが上手く進んだので、両曲とも1回やるだけで充分。この24時間の間に、こんなふうにピート・タウンゼントとリッチー・ブラックモアになるなんて、ものすごく奇妙!!

午後3時、ラス・バラード(以下、ラス)が到着。実にたくさんのヒット曲を作ってきた人だから、選曲は難しかったと思われるが、難なく "Since You've Been Gone" を選ぶ。この歌ではクリスがベースを弾き、THUNDER ファンにはお馴染みのスティーヴ・スミスがキイボードを担当だ。そして今は髪がブルーネットのラブリーなタラ・マクドナルドも、リハーサル中にみんなが必要としていた華やかさを提供するほかに、バッキング・コーラスでも参加している。この曲をさっと何度か演奏。ラブリーな出来だ。

イアン、クリス、僕は、フィッシュと演奏する "Faith Healer" のインスト・バージョンをリハーサル。フィッシュはちょうどツアーの最中でここには来れないから、僕たちは長身のスコットランド人の男が歌ってるのを想像 するしかない。その後、睡眠不足解消のためにイアンが家に帰り、残りのリハーサルのためにハリーがドラム台に座る。

午後4時、ルルが彼女のミュージカル・ディレクターのマーク・テイラー(以下、マーク)と共に到着。マークはすばらしいピアノ・プレイヤーで、ダ ニーと僕は "Mo's Barbeque" アルバムで一緒に仕事をした。( "On A Day Like Today" の終わりに美しいピアノ・ソロを弾いてるのは彼だ)。

ルルには驚くべきオーラがあり、ほんの数分で部屋にいるすべての男たちは彼女の虜になってしまう。観察していると本当になんだかすごい。彼女には、会 えば直ちに好きになってしまう魅力があるし、抜群のユーモアのセンスも持ち合わせていて、とても面白い。それに、ラブリーなお尻の持ち主であるってことも、ひとこと言っておかなきゃ! 新しいアレンジの "To Sir With Love"、それに、演奏がやけに楽しい "Shout" の2曲を歌ってもらう話もうまく成立。彼女はエンジョイしているらしく、みんなとふざけ合いながら、その辺でダンスもしている。本当にとても楽しい人だ。 5時半にリハーサルは終了。今日はいっぱい働いたし、その褒美にビールでも一杯やるか、と外に出る。

2008年3月12日(水)
Indig02、セット・アップの日。THUNDER のサウンドチェックのために午後4時前に到着した時は、まだクルーがあれこれ調整していた。会場は感動的なすばらしさで、うまくデザインされている。僕たちのセットをざっと演奏した後、ロジャーの何曲かと、最後にルルの曲をやってサウンドチェックを終了。

2008年3月13日(木)
ショウ当日。午後3時に会場に着くと、Marillion がサウンドチェック中。今日は短いアコースティック・セットなので3人だけだ。プロダクション・マネージャーのエイドリアンに会いにオフィスに寄ると、み んな忙しく仕事をしている。トゥルーディ・ハリス(司会のボブの奥さん)はこのチームでとても重要な役を担っており、彼女と女性何人かが、こういうショウ の場合には決して楽しい作業とはいえない、難しいゲストリストの整理をしていた。いつものように愛すべき人柄のボブに挨拶をする。

3時45分ごろ、"all star band" のサウンドチェック開始。イアンのドラム・キットのチェックのあと、ラス、グレン、フィッシュが続き、最後に ルル( Blackwallトンネルで渋滞に巻き込まれたとかで、遅れて到着)と、全員が自分達の曲を演奏。それから、フィナーレの "With A Little Help From My Friends" のリハーサルに挑む。僕はこの曲をこういう理由で選んだ。1)この曲の趣旨が、このようなチャリティー・イベントに合ってるように思える。2)みんなが知っ ている。3)すべてのシンガーが何行かのソロが取れるだけの長さの歌詞がある。僕は、これがあればみんなで使ってもらえるし、あるいは上手くまとまるかも、というはかない望みをもって、学校の先生みたいに歌詞を何枚かプリントまでやってみた。・・・ハハハ!!

この曲をかなりめちゃくちゃに1回通したあと、全員がドラム・ライザーの周りに集まり、僕が、このラインは誰が歌い、このラインは誰が歌う、というふうに割り当てた。これで全員、"カオス、ほぼ落着" な気分になれた。ただし、逃げていなくなってしまった The Zombies のコリン・ブランストーンを除いて! 誰かが、僕の、学校の先生みたいなやり方が彼を怖がらせたんじゃないのか、と言った。

それから、すべてのアーティストが5分間のフォト・セッションのために集まり、続いて夕食。そののち僕は THUNDER の楽屋に引っ込み、ショウのためにぴっかぴかの衣装に着替えた。ボブによる開演の挨拶のあと、僕らはステージに出て、THUNDER のセットを演奏したが、僕のギターの弦がぶっ切れた以外はとても上手く進み、4曲はあっという間に終わった。フィッシュがその次に出たが、彼のセットはぜんぜん 見れなかった。

すばらしい The Zombies の後に、オーディエンスが湧いた Marillion のセットを少し見ていたら、今夜の "all star band" として、再びステージに上る時間になっていた。すべてがとてもスムーズに進み、アーティスト全員の水準も高く、それぞれ最高のパフォーマンスを行った。こ ういう場合にいつもそうであるように、時は駆け足で過ぎていった。とはいえ、僕はこの夜、何度もステージを見回しては、しみじみとこのショウのすべてを楽しんでいた。だって、考えてもみろよ、こんなに大勢のグレイトなミュージシャンと共演できる機会なんて滅多にないだろう・・・だから、どの瞬間をもしっかりエンジョイしておきたかったんだ。

ルーク
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メンバー執筆コラム WW&W 和訳 (ハリー編)

“Hands up if you’re proud to be British?” (2006年11月13日掲載)

"英国人であることの誇り" を述べるハリーのコラムです。
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僕が英国人であることに誇りを持ってるって言ったら、みんなが驚くかどうかは知らないけど、でもたとえ住みたい国を自分で選ぶことができたとしても、僕はこの英国を選ぶし、ここ以外では生きていけないということもよく分かってる。人々は絶えずこの国の政治やトニー・ブレア、国営医療機関、金利、それに王室について不満を漏らすし、僕だってもっと言いたいことはある・・・でも言わんとすることは分かるよね。他の国にも同じような問題はあるのかな? あるなら、どんな情報も歓迎するけど。

英国は、世界最高のサッカー選手を何人か輩出している。素晴らしい発明や驚くべき科学の発達も然り。それに最高のロックンロールやポップのバンドも生みだしたし、このリストはこれからもどんどん続いていく。だから英国人であることには、明らかにたくさん祝福すべきことがある。

ところで、僕がぶつぶつ不満を言う人間じゃないってことは、みんなに知っておいてもらいたいし、誰もがそう思ってくれてるだろうけど・・・。

実はこの前、医者に予約を入れようとしたら、2週間ほど先になると言われた。急を要するものじゃなくて良かったよ! たしかに大した病気じゃなかったけれど、でもちょっと腹が立った。さっきも言ったように、僕は文句をいうタイプじゃないけど、医療がらみのこの小さな出来事が、この国について考 えるきっかけをくれた。それで色々とインターネットで調べてみたところ、面白い事実をいくつか発見した。

英国人であるということは、ドイツ車に乗ってアイリッシュ・パブに行き、ベルギー産ビールを飲んで、家に帰る途中でインドカレーか、トルコのケバブを買い、スウェーデン製の椅子に座って、日本製のテレビでアメリカの番組を見るということだ。

そして、もっとも英国人らしいものといったら 、 "外国のどんなものに対しても懐疑的である" ということだよ。なんて皮肉なんだろうね、ハハ! 

そして、英国においてのみ・・・

1.救急車が来るより早く、ピザが配達されてくる。
2.スーパーマーケットでは、病人が処方箋のクスリをもらうために店の一番奥まで歩かされる一方、元気な人間は店の入り口でタバコを買うことができる。
3.人々はダブルチーズバーガーとポテトフライ(大)、そしてDiet Cokeを注文する。
4.安物の芝刈り機やガラクタは鍵のかかった車庫に入れているのに、何千ポンドもする車は外に駐車する。
5.留守電を使って相手を選別しているのに、キャッチホンがあるおかげで、もっとも避けていた相手からの電話を逃すことはない。
6.スケート場の真ん前に身障者用の駐車スペースがある。
(もしかしたらこういうのは英国に限らないのかも知れないけど、そこのところはよろしく・・・)。

それに、こういうことは知ってたかな?

・毎年、9ボルト電池を自分の舌でテストするために、3人の英国人が死亡する。
・1999年には142人が、買ったばかりのワイシャツから針を抜かずに着たため、怪我をした。
・毎年、ネジまわしの代わりに尖ったナイフを使って怪我をする人が58人いる。
・1996年以来31人が、豆電球がついたままのクリスマスツリーに水をやって死んでいる。
・過去3年の間に19人がクリスマスの飾りものをチョコレートと勘違いして食べ、死亡している。
・去年、クラッカー(*英国のクリスマスには欠かせない、端に付いたヒモを引っぱると爆発音と共に紙テープなどが飛び出す紙の筒)を引く際に、4人が腕を骨折したという病院からの報告がある。
・1999年以降、101人の足の裏から、プラスチック製のおもちゃのカケラが取り出されている。
・2000年、煙草をくわえたまま新しいセーターを着ようとして18人が重度の火傷を負った。
・去年、543人などというとんでもない数の人が、歯でビール瓶のふたを開け、救急病院の世話になった。
・去年、制御できなくなったScalextric(*英国の模型自動車のブランド名)の車による事故で5人が怪我を負った。

そして、とどめには・・・

2000年、トイレで吐いている時に、8人の英国人が頭蓋骨にヒビを入れた(イテッ!)。

他の国でも同じような統計があるものと、心から期待しているよ。インターネットの隅々まで探してみたけれど、見つけられなかったから。

でも誤解しないでね・・・

こんなこと書いてると、僕がまるで "文句ばかり言っている野郎" みたいに思えるだろうけど、単にからかってるだけだから。僕はこの国を、この国の歴史を、国土を、それにこの国の人たちの物の考え方(ほとんどの場合、ね)を愛している。FA プレミアリーグ、Crystal Palace FC は勿論のこと、伝統的なサンデー・ロースト(*ローストビーフに温野菜やヨークシャープディングなどを添えた、日曜日にいただくご馳走 ) も愛してるし、大勢の英国人が好きなように、僕もやっぱり旅行が好きだ。ラッキーなことに、バンドにいると、日を追うごとに小さくなってきているこの世界の、 色々な国々に行くことができる。でも、どこへ行こうと、最後にはいつもこの英国の地に戻ってくるのが楽しみなんだ。ひょっとしたら、色んな欠点がこの国をより魅力的にしているのかな?

さて、魔法の杖はないことだし、この赤い靴のかかとをカチカチッ!と2回打ち合わせて、こう言おう。 "おうちが一番、おうちが一番、おうちが一番・・・おいで Toto!"(*「 オズの魔法使い 」 より)

読んでくれてありがとう。

ハリー


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メンバー執筆コラム WW&W 和訳(ベン編)

“SOMETHING MISSING?”(2006年7月3日掲載)

2006年2月の来日公演から戻った後の、リスケジュールされた Norwich 公演でベンに起こった出来事です。
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ロック・バンドの一員というと、みんなはリムジンや高級ホテル、無料のヘア・ケア商品? なんて想像するだろうね・・・いや、ほんとに正解だし、じっさい素晴らしいんだよ。(残念ながら無料ヘア・ケア商品以外はね)。ツアーの初日、バスに乗り込んで革張りのソファにもたれかかって靴を脱ぎ、DVD の物色なんかしているとすっかり普段のささいな物事なんか忘れてしまうんだ。

ツアー・マネージャーが、するべきことは全て教えてくれるので (ただし倫理的にじゃなくて物理的にだけだけど) 例えばホテルがどこにあるかなんて覚える必要はないんだ。(だってそれはいつもツアー・バスを降りた所にあるからね)。彼は、いつ、どこに、何を着て行けばいいか教えてくれるし、洗濯物の世話もしてくれるし、イギリスのクリケット・チームの試合結果なんかも Richie Benaud (伝説的なオーストラリア人クリケット解説者) の下手くそな声真似付きで教えてくれたりもする。

それにブライアンというギター・テク (以前はローディと呼んでたね)もいて、彼は全てのギターやアンプ、キイボードをみてくれるし、壊れた時には直してくれる。それに彼はライヴ中に、僕 が弾くはずのギターをちゃんとステージ上まで持ってきてくれたりもする。(ほんの時々だけど、僕はギターを取り替えるのをすっかり忘れるんでね )。

いつかのツアーで "Moth To The Flame" をプレイしてたんだけど、あの曲ではギターを替えなきゃならないんだ。タフな音色を出すために低くチューニングされているギターにね。そんなのまったく忘 れてイントロを機嫌よく弾いてたら、肩をちょんとたたく人がいて、見てみたら、困ったような顔して正しいギターを持ってきてくれたブライアンだった。

まあ、普通は、ツアー中にそれほど大きな間違いなんて起こらないと、みんなは思うだろうね。でもそれも"プロである部分" を取り除いたら、ただの何でもないミュージシャンである、ってのがバレるまでの話だよ。

で、それが起きたのは延期された Norwich でのショウだった。ちょっと説明させてもらうと、いつも日本へライヴしに行く時は自分の Gibson Les Paul を1本持っていって、むこうで1本予備を借りることになっているんだ。だから旅の終わりには僕のギターはバンド用の保管場所でなくて我が家に帰り着くというわけ。

帰国後最初のショウが2週間後の Norwich で、そこへはルークと一緒に僕の車で行くことになっていた。午前中、ステージ衣装を選んだり、靴を磨いたり、ヘア・ケアの用意なんかで忙しくしてたけど、 ルークがドアをノックした頃には準備も終わっていて、すぐに車に乗り込んで出発したんだ。

ショウの会場ではバンドの友達であるチャーリー・キャッシュ(僕たちはわざと "チャールズ " と呼んでいる。だってその方が "お上品" で、彼が嫌がるからね) に会う予定だった。ちょっと話がそれるけど、彼のことを説明させてもらおう。

まず、彼はスポーツ・インジュリー・セラピストで、よく開演前に僕たちの固まった筋肉をほぐしてもらっている。それから彼はすごく珍しい Ibanez のギターを集めていて、それを見てもらいたがっていた。それで彼のクリニックに行き、しっかり時間をかけてギターを見せてもらったんだけど (ついでに身体の痛む所も治してもらったよ)、その内の2本のギターがとても気に入ってしまった。チャールズは 「売り物じゃないよ」 と言うけど、1本は1977年製の Ibanez Explorer 2459 で、もう1本は Ibanez 2675 custom agent だった。

チャールズが一度、きちんとしたサウンド・システムを通すとどういう音になるのか聞いてみたいと言うので、会場に2本のギターを持ってきてもらいサウンドチェックの時に試しに弾いてみようということになった。会場に着いたのが昼すぎ、ステージでブライアンに会い、握手して、それから機材をちらっと見た彼は、 「いつも使う Les Paul を持ってくることは覚えてた?」 と僕に尋ねるんだ。

察しはつくだろうけど、少し面食らい気味で不審げな顔の僕とブライアンが続けたのはこういう会話だった。

「黒の Les Paul は持ってきた?」
「ブライアン、それどういう意味?」
「家にあったやつだよ、もちろん持ってきたよね?」
「なんの話をしてるの?」
「そのギターを車に積んで Norwich に持ってくるはずだったけど、覚えてる?」
「何を、何に積んで、どこへだって?」
「日本へ持って行って、その後、家に置いてあったあのギター」
「それって黒の Les Paul のこと?」
「そう」
「今日、持って来るはずだったやつ?」
「そう」
「車に積んで?」
「そう」
「Norwich へ?」
「そう」
「今夜のショウのために?」
「そう。持ってきた?」
「いいや、忘れた!」
「うーん、Houston, I think we have a problem」

ということで明らかにこれはブライアンの落ち度だ。だって持って来るように思い出させてくれなかったんだから。ほんとに大したギター・テクだよ、ショウにギターを持って来るなんていう重大なことをミュージシャンに任せてしまうんだから!( 以上、言い訳 )。

幸いブライアンがもう1本の Les Paul を持ってきていたので大問題にはならなかったけれど、弦が切れたり何か起きた場合に予備のギターがないのは困る。何ができるか色々考えたんだけど・・・

・家まで取りに帰る
・誰かに取りに行ってもらう
・タクシーに頼む
・ドラム担当になる ( と、そこまで絶望的だったんだよ )

その時、チャールズが舞台のそでに "救い" となるものを抱えて座っているのが見えたんだ。それは Gibson そっくりの Ibanez Explorer で、ほんとに素晴らしい楽器なんだ。彼はこの危機には気付いてなかったけど苦境を説明し、これが予備のギターになるよ、と伝えると目を輝かせ、「じゃ本当にこのギターがどういうサウンドなのか聞けるんだ」 と言いながらそれをブライアンに手渡してくれた。

サウンドチェックでは完璧な音色に聞こえたし (Ibanez 2675 の方は貴重品すぎるし、重すぎるのでサウンドチェックでちょっと弾いただけ)、あまりにいい感じなので本番の "Dirty Love" の終わりの辺りで弾いてみたけど、もう、みごと賞賛に値するパフォーマンスだったよ。(この賞賛が僕の方には値しなくて残念だけど・・・)。チャールズ、ありがとう! お陰で難をのがれられたよ。

ベン
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PostPosted: Wed Oct 27, 2010 10:36 am 
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メンバー執筆コラム WW&W 和訳(クリス編)

'A TOUR DIARY' (2005年2月19日掲載)

THUNDERに加入の前には色々なバンドと共に世界中をツアーで回ったクリス、一番思い出に残るツアーというと? その2週間の日記です。
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THUNDER のメンバーになる前、僕はたくさんのバンドと世界のあちこちをツアーして回ったものだけど、もっとも奇妙な思い出は、1993年にサマンサ・フォックスのツアーでエストニアやロシア、レバノンに行ったことだろう。彼女については皆それぞれに思うことがあるだろうけど、僕は彼女が、どんな状況下にあっても(この後に起きたことを考えると、まさにその通りだし)、出来る限り最高のショウをやり遂げる完璧なプロで、物事に動じない意志の強い人間である、ということをツアー開始後すぐに発見することになった。

最初のショウはエストニアの首都タリンで開かれたフェスティバルで、これは非常にうまく計画され、盛況だったし、全ては円滑に進んだ。

次の訪問地はロシアのイジェフスクという町だったが、ここは僕らが行く2年前までは西側諸国からの訪問者には門が閉ざされていた。というのは、世間をびみょうに騒がせてしまう "兵器工場" があったからで、じっさい僕らは、ここで演奏する西側から来た最初のバンドだった。
(*イジェフスクはウドムルト共和国の首都。1760年に工場都市として建設され、軍用兵器やスポーツ、狩猟用の銃などの工場があることで知られる。)

ここへ向かうフライトだって何事もなかったわけではない。飛行機はチャーターされた元・空軍機で、前方には爆弾の狙いを定める Perspex(*飛行機の防風ガラス用の透明アクリル樹脂)でできたドームが付いたままだったし、タイヤの磨りへった部分からはヒモ状のキャンバス地や、針金がのぞいていた。飛行機の内部というと、窓のそばに "脱出用ロープ" と記された箱が置いてあり、見つけた僕は恐怖におののいた。今でも、何のためにそれがあったのか、想像できないよ。 

それに積荷が多くて、離着陸の時には何人かが立ってスーツケースやギターを押さえつけなきゃならない程だった。飛行中、僕はパイロットに会いに行きたいか どうか尋ねられ、ふと興味が湧いたので操縦室に頭を突っ込んでみたところ、なんと、このバンドのドラマーであり、僕の親愛なる友人であるジョン・トンクス がいやにニンマリした顔で操縦席に座っていた。

翌朝早い時間に目的地に到着。髪はボサボサ、目はぼんやりの状態で滑走路に降り立った僕らは、カメラや照明をお供にしたテレビのニュース番組担当の人たちに迎えられ、挨拶を受けたが、彼らが近づいてくる時、ジョンはサマンサの耳元に冗談めかしてこう囁いた。「この町の名前がイジェフスクに改められる前は何と呼ばれていたか知ってるかい?  チェルノブイリだよ!」・・・彼女の悲鳴が飛行場くまなく響きわたった。

それから一同車に乗りこみ、森を通り抜け、用意された、ホテルと呼ぶに一番近い建物に着いた。それはヒルトン・・・じゃあなかった。

イジェフスクでは2回のショウをしたが、最初のは地元の高貴な方々及びマフィアのための室内でのショウだった。バンドが演奏中、人々が音楽に合わせて社交ダンスをしていたところをみると、それ以前に僕らのような者が来たことがないのは明らかだった。

つづく2回目のショウは 27,000人が参加した野外フェスティバルだったけれど、どうやらゲートの外にもこれと同じくらい大勢の人がいたようだった。いま思い出してみても、これはとても上手くいったショウだったと思う。

終演後、パーティ会場を探していたジョンと僕は、何人かのロシア人関係者と車に同乗して森の奥深く運ばれていくことになった。半時間ほど走って一軒の家に 着いたところ、英語ができるたったひとりの関係者が「いや、ここはまずい。ここにはギャンクがいる・・・」と言った。でも僕らはそんな言葉には気も留めず、地元産ウォッカを飲みに建物の中へと入っていった。

さて、退散する時間だ、と僕らが車に向かって歩き始めたとき、きついロシア訛りの英語で「サマンサにどうだね?」と言いながらドラッグをすすめてくる3人の大男に直面した。頭の回転の速いジョンが素早く丁重に断り、車に入ったのはいいけれど、またたく間に、怒鳴りまくる大勢の男たちに取り巻かれてしまった。車の中にいた2人の女性たちは引きずり出され、僕はジョンが「どうやらトラブルに巻き込まれたらしいな。喧嘩に強いか、足が速いかのどちらかであることを祈るよ」と言ったのを今でもはっきり憶えている。もちろん僕はそのどちらでもないし、家路の遠さを痛いほど感じていた。

やがて、英語を話す "我らが友" であるロシア人関係者が、車を出せるほどに事態を鎮めてくれ、それ以上のトラブルなしでホテルに戻ることが出来た。後になって知らされたことだけど、あやうく、幾つかのバンドがロシアで陥ったという罠にはまるところだった。ドラッグを渡され、警察に逮捕されて膨大な罰金(もちろん現金だよ)を払わされ、ようやく釈放される という・・・。

次の行程はダマスカス空港(シリア)を経てベイルートに行くことだったが、ダマスカス空港に着陸した時は滑走路に並んだ戦車を目にして、一気に不安が募っ た。それに手荷物引取所での周りの人々の視線はまるで火星人でも見るかのようだった。地元の女性はみんな頭から足まで布で覆われており、目だけが小さな窓ごしに見えるだけなのに、こちら側はサマンサはじめ、ツアーに同行の女性は誰もがショーツに小さなトップスという姿だ。想像できるだろうけど、これはちょっとした騒ぎを起こすことになった。

ダマスカスからベッカ渓谷を通ってベイルートへ向かう長い道中は、暑くて心地の悪いものだった。それに、ハワイアン・シャツを着て大型の銃を持った検問所員がバスの回りをうろつく国境でのチェックは永遠に続くかに思われた。

そうして遂に1回目のショウにこぎつけたわけだが、そこは椅子のある野外の会場だった。レバノン式ステージ警備法というのは、ステージ前に20人の武装した兵士が座り、ドラムキットの両側の1人ずつを含め、その他の兵士を戦略上役立つようにあちこちに配置するというものだ。ライヴが始まり、興にのった観客が椅子から飛び上がってステージ前に駆け寄ってくると、その度に兵士から座るように指示される、ということが繰り返されたが、これは、このゲームに疲れてし まったサマンサが「みんなが椅子から立ってもいいようになったら、またステージに戻ってくるわ」とアナウンスして姿を消してしまうまで続いた。

結局、ショウの主催者が彼女の言葉に応じ、その後はただ1件の例外を除いては何事もなく進んだ。その例外というのはサマンサのボディガードのロイ ドと、"写真撮影は最初の3曲まで" というルールに違反したカメラを持った男との取っ組み合いで、最後には勝ったロイドが当のカメラを頭上に掲げて終わったのだが、そのカメラが実は警察署長の所持品であったということが後に判明した。

僕ら一行が乗る胴長のリムジンとミニバスは、どこに行くにも4人の兵士が乗るジープと、警官が乗るオートバイ1台に護衛され、ショウの会場や近くのレストラ ンへ行く時もライトを照らしサイレンを鳴らしながら進んでいった。数マイルごとに機関銃を持ったシリア兵が配置された検問所があるので、どこへだろうと、 出かけるのは緊張の連続だった。

イスラエル軍によるレバノン南部攻撃が始まったのは、僕らがちょうどここに滞在していた時のことだった。ベイルートの丘の上に建つ僕らのホテルからは街 じゅうが見て取れた。ある日、空港が位置すると思われた所に煙の幕がかかっていたのを目にし、僕は身体の一部を失うことなく家に帰ることを諦めはじめた。 そのうえ、一行の全員が嘔吐と下痢に悩まされることになり、ベッドの中でたて続けに何時間も CNN ニュースを見ながら、うめいて過ごすはめになった。

ベイルートでの最後のショウは会場が野外だったため、音量が足りないのではないかと心配したクルーの面々が、PA を扱う会社に行って倉庫にあった機材を全部借りてきた。その結果70年代の Pink Floyd のショウのように大がかりなものになった。 そしてダマスカスでの最後のショウの会場はバスケットボール場だった。僕らは片側の席でプレイし、観客はもう一方の側の席で見ていたけれど、間には誰もい なくて、とても異様だった。

すべてが終わって最後にベイルート空港から飛び立った時ほど、飛行機で運ばれることを嬉しいと思ったことはなかったよ。   

起きたことすべてを理解するのは、その真っ只中にいた時には難しかったけれど、この気の張り詰めた2週間は実にすごい体験だった。何しろ銃がありすぎたし、自分の性的傾向が分ってないレバノン男が多すぎた。(例えばバンドの男のメンバー全員がロングヘアだったからか、男どもから口笛や野次を頂くこ とになったし、僕らの運転手だった男は「ラブリーなボディだね」と僕に言った。お返しに「もっと頻繁に外に出る必要があるようだね」と言っておいたよ)。 しかし、これは、経験しておいて本当に良かったと思う旅だった。またしたいかどうかは分からないけど・・・。

クリス
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ラジオ・インタビュー ダニー(2008年5月31日) 

2008年5月31日 Planet Rock ラジオの番組 "My Planet Rocks" にダニーが出演、大切に思う曲を10曲選び、それについて語ってくれました。内容に興味を持たれた方のために、ざっとまとめてみると、こんなです。
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1番目の曲:デイヴィッド・ボウイーの "Drive-In Saturday" について

"Starman"(「 Ziggy Stardust」アルバム)にはぶっ飛ばされたけれど、変な話、僕はボウイーのことを、ちょっとロバート・ワイアットのような、髭をたくわえた車椅子の アーティストであると思い込んでいた。ラジオで "Starman" を聞いたとき、なぜか、そういう絵が頭に浮かんだんだ。だからテレビで Ziggy の格好をした彼を見た時はたまげたよ。この "Drive-In Saturday" を聞いた時は、自転車に乗ってレコード店へすっ飛んで行った。これは僕が13歳の時に生まれて初めて自分で買ったアルバム(「 Aladdin Sane 」)だったから、2.39ポンドという値段まで記憶してる。あわてて店まで行ったのはいいんだけど、お金が足りなくて不足分を取りに帰ったから、上り坂の2マイルを2往復!・・・どっと疲れた。

♪♪ ここで "Drive-In Saturday" が流れる。

2番目の曲:Free Live アルバムからの "Be My Friend" について

子どもの頃、家にはラジオがなくて音楽に目覚めるのはかなり遅かったけれど、学校(*ダニーとルークは Haberdashers Aske's という11~17歳が対象のセカンダリー・スクールで同級でした)で音楽と出会ってからは完全にのめり込んでいった。新聞配達を土曜の朝にすませ、午後にバイト代をもらうと、すぐさまレコード店へ走って有り金をすべてつぎ込んだ。したいことと言えば、お金を稼いでレコードを買うことだけだった。(ついでに、初めて買ったロックのシングル盤は、大きな声じゃ言いたくないけど New Seekers の "Beg, Steal or Borrow" だよ)。2曲目に選んだこれは、初めてポール・ロジャーズに出会い、将来シンガーになりたいと決心するに至った曲で、これを聞いたとき、僕は彼のように歌わなければならない!と、ごく自然に思ったんだ。

♪♪ ここで "Be My Friend" が流れる。

バンドのシンガーの座を得ることになった100%本当の話

あれは木曜の午後、学校のランチタイムでのことだった。他の仲間と一緒にルークの家に行ったんだ。(*当時、ランチは家に帰って食べるという決ま りだったようです)。僕以外は全員がスモーカーだったから僕はルークの寝室へひとり追いやられたわけだけど、そこはかなりボヘミアンな雰囲気のする部屋 だった。彼の母親は美術史の先生で、離婚して自立した人だったし、ごく普通のワーキング・クラスの両親を持つ僕とはライフスタイルがまるで違っていて、僕にはすごい驚きだった。

だって、壁には"(缶詰の)ベークト・ビーンズ" のポスターなんかが貼られてたんだよ。でも芸術的とかいうんじゃなく、ただ壁がひどくて何かを貼らなきゃならなかったからだけどね。そして、そこには、なんと、ドラムキットが鎮座していたんだ。その赤くてぴかぴかのキット(安物だったけど)に圧倒されて、じいっと見入っていたら、この世のものとも思えない天使の歌声が聞こえはじめてきて、これより美しいものなんて見たことがない、という気持になり、すっかり魅了され、頭から離れなくなってしまった。

学校からの帰り道、電車の中でもドラムキットのことを思い続け、家に着いた頃には、何としてでもドラムキットのそばにいるようにしなければならない、と決心していた。でもプレイはできないから、やっぱりシンガーしか道はなかったんだ。当時の僕はなにがなんでもポール・ロジャーズになりたいと思っていたのに、すでに当の本人が存在していたから、その現実には大いに失望させられたけどね。ともかくも、ドラムキットの持ち主を知っているというルークと話をする必要があった。

で、翌日、経済のクラスでルークの隣に座り、授業中いっとき静まった隙に、「オレはシンガーなんだよ」 とつぶやいた。彼はもちろん「ノー」 と答え、繰り返し同じことを言い合ってる内に (先生から物を投げつけられたりしながら、5分ほど) この調子じゃにっちもさっちも行かないことに気づき、「オレ、マイク持ってるし」 と吐いた。すかさずルークの耳がキャッチしたよ。なにしろ金のない15歳だ、機材を持ってるなんて大変なことだったからね。「だったら放課後、オレの家へ来い。何枚かレコードを貸すから、曲をおぼえて日曜の朝に家でオーディションだ。もしお前がシンガーだったら、すぐ分かるからな」 と、それはまあ、偉そうに言ったもんだ。

マイクのことは嘘だったけど、叔父が昔バンドをやっていてマイクを持ってたから電話して借りてきて、オーディションで Rolling Stones の "Jumping Jack Flash" や Dr. Feelgood なんかの曲を歌いまくった。ただし、アンプがツイン・プットのものしかなかったから、ルークと、もう1人のギター担当トニーの弾く2本のギターと、僕のマ イクを交互に差し込んで使うしか なかった。最後に「あっちに行ってお茶を淹れてきてくれ。お前のこと、考えてみるから」と追い払われたけど、しばらく して「合格だ」と言われた。ちなみにその時のシンガーはベースに転向させられたよ。

3番目の曲:Bad Companyの "Deal With The Preacher" について

1974年12月14日に Rainbow Theatre で見た Bad Company は、僕にとって生まれて初めてのライヴ体験で、チケットは2ポンド、手数料は20ペンスだった。ポスターだって買った。fantastic なやつだよ。ただ、帰りの地下鉄でドアにはさまれてしまい、力いっぱい引っぱったから頭の部分は切れてるし、字も最後まで読めないけどね。さて、その日のライヴは彼らの2枚目のアルバム「Six Shooter」・・・じゃなくて、「Straight Shooter」に収録されているこの曲でスタートした。ちょうど1枚目と2枚目の間でのツアーだったから、このアルバムはまだ発売前で誰も聞いたこともない曲だったけど、これを聞いた僕は突っ立ったまま、ショックで完全に茫然自失状態だった。

♪♪ ここで "Deal With The Preacher" が流れる。

これまでは全財産をレコードだけにつぎ込んできたけど、これ以降はレコードとチケットでお金が飛んでいった。どんなバンドも見たし、Hammersmith に出演するものはすべて見たし、地元のライヴ会場にも通い詰めた。

その内、僕らのバンドに母校でのイベントでプレイする機会がやってきた。ここで "行く末はマネージャー" の僕の手腕の一端が伺えるよ。ある日、このショウでヘッドライナーをつとめる同じ学校のバンドのリーダーと僕が校長に呼び出され、ショウの開催についての話を受けた。5人編成のヘッドライナー・バンドは校内では既によく知られていて、1人当たり15ポンドのギャラを校長と取り決めた。僕らは4人編成の前座であり、彼らの PA を使って(だって自分たちのは持ってなかったんだから)、1人16ポンドのギャラ! ヘッドライナーより1ポンド高いんだ。満足だったね。

でも、結局はなにも起きなかったんだ。なぜかというと、学校付近の道路を掘っていた工事の作業員がメインの電線に鋤をふるって感電死してしまったから。午後7時20分前、僕らはサウンドチェックの最中だったんだけど、当然ながら、やって来たみんなにお金を返すはめになった。恐ろしい経験だったよ。僕らは自分たちを great だと思い込んでいたけど、本当にひどいものだった。その証拠のテープを何本か、僕は持ってるよ。

4番目の曲:The Who の "Baba O’Riley ( Teenage Wasteland )" について

「 Whos’s Next 」アルバムを買った頃の僕は音楽に対して飽くことを知らず、がむしゃらだった。本当になんだって聞いたよ。学校ではレコードの貸し借りが盛んで、家ではそれをカセットに録音しまくったし、ラジオの Top 40 だって録音したものだ。今となってはお粗末なものだけど、あの頃はそれがベストの方法だったし、みんな必死だった。

そんなところに The Who が現れたんだ。1975年のツアーでは2度見に行ったけど、彼らはそれまでに見たこともない最高のバンドでありながら、最低のバンドでもあった。キース・ ムーンはすごい、と思ったら次回はひどいものだったし、ダルトリーもタウンゼントもその時の気分が手に取るように見え、イライラしてたら、もろに分かっ た。そういう面では、彼らは他のすべてのバンドとは完全に逆であり、それが彼らを際立たせたんだと思う。

♪♪ ここで "Baba O’Riley ( Teenage Wasteland )" が流れる。

5番目の曲:Van Halen の "Ice Cream Man" について

彼らのデビュー・アルバムの中からこの曲を選んだのは、歌うと同時にショウマンにもなれることに気づかせてくれたからだ。デイヴィッド・リー・ロ スほど上手くそれを出来るシンガーは他にはいなかった。2枚目のアルバムのプロモ・ツアー中の彼らを Rainbow Theatre で見た時は、まだ誰もこういうバンドは見たことがなかったわけだけど、すばらしいプレイヤー達だった。

デイヴィッドの歌は大したことはなかったけど、そんなことはどうでもよかったんだ。彼はアンコールのとき、アコースティック・ギターを抱えて一人で現れた。ふわふわした毛皮のパンツをはき、背中の方は、腰の辺りから頭の先まで羽根がヒラヒラと付いていて、まるでダチョウのようだった。10分ほどにも思えたその間、スマイルを浮かべ、一言も発せず、客がようやく静まった頃にひと言「ロンドン・・・」と言ったところで再び大爆笑の渦が湧きおこり、僕もあんなふうにやらなきゃ!と肝に銘じることになった。"誇大妄想狂的バカ" の僕ができあがったのはそういうわけだ。

♪♪ ここで "Ice Cream Man" が流れる。

Terraplane を経て、Thunder が誕生するに至った興味深い話

僕らにブレイクがおとずれたのは Terraplane というバンドをやってた1978、79年のことだ。あの頃、僕らはワゴン車で寝起きしながら(シンガーの僕だけは例外だったけど、ハリーは無理がたたって顔色が真っ青になった時もあった)国内の至る所でプレイしていた。82年、Reading Festival に出演したのがきっかけとなって世間から注目されるようになり、デモ・テープも作った。やがてシングル盤 "I Survive"(僕にとっては100回も1000回も歌った曲だから飽き飽きだったけど、ファンにとってはアンセムのようなものだった)を作るにことに なり、それがブレイクの瞬間だったと思う。

1982、83年には僕らはヘッドライナーになっていた。ここで、ちょっとした話を紹介しよう。Big Country がブレイクする前の話だよ。僕らは、イヤというほど長い間、オープナーでしかなくて、あらゆるバンドの前座をつとめていた。マネージャーに何度も何度も 「ヘッドライナーにしてくれ」と頼んでも、「ダメだ、お前らにはチケットは売れないよ」と言われ続けてきた。ある日、Big Country は Marquee でヘッドライナーとしてプレイする予定だった。が、その当日、マネージャーから電話があり、「チケットが売れないから Big Country は降りることになった。もしも、Terraplane が100人集客できたら、今後ヘッドライナーにしてやろう。ただし、ショウは今夜だ」と言われた。僕は友だちに一人残らず電話をかけ、彼らの知り合い全員に伝えてくれるよう頼み、結果として250人が来てくれた。それ以来、Marquee でプレイする時はいつもヘッドライナーだった。

でも、ギグだけではとても生活は成り立たないから、僕らはみな、昼間の仕事も持っていた。僕にはカーペットを敷く仕事があり、それが終わるとワゴン車に機材を積み込んで、どこか遠くの会場まで運転していって演奏し、車で着替えて地元に戻り、ルークのアパートに機材を降ろして家に帰るというパターンで、睡眠はよくて3時間。今じゃとても出来やしない。CBS と契約ができたのは1984年、僕らがバンド活動を始めて9年が過ぎた時だった。

それまでプロデューサーと仕事をしたことはなかったから、それはとても興味深いことだった。その内、リアム・ヘンショーという人が担当になっ たけれど、彼は、後に London Beat というバンドで、ウィリー・M と名乗って "I’ve Been Thinking About You" というヒット曲を作った人だ。

Terraplane は基本的に1987年には終わっていた。レコード会社にうんざりさせられたんだ。髪を切れだの、ポップな路線で行けだのと言われたし、レコードはいつも僕らがツアーをした後にしかリリースされず、2枚目アルバムのプロデューサーは、Culture Club の "Karma Chameleon" を制作したフィル・ピケットというポップス界の人だった。問題は、ルークがロックと同じくらいポップにも興味があり、いつもキャッチーなメロディを作って しまうことだった。それがレコード会社を混乱させたんだと思う。

彼らはそれでもヒット曲が出せると思ったんだろうけど、もしロックバンドがポップなヒット曲を飛ばして、そのレッテルを貼られてしまったら、そこから立ち直るのは容易ではない。僕らはいつもどちらを取ろうか決めかねていて、レーベルが満足する程度にポップなロック・アルバムを作ろうとしていた。僕ら自身に確固としたビジョンがなかったとも言えるね。それから、曲というのは僕らにとっては創造の賜物だったのに、レーベルにとってはただの商品でしかなかったということに気づいた時は落胆し、ひどく失望した。こんなはずじゃなかったのに、という感じに。

それで、僕らはこのまま音楽をやっていくかどうか、色々と考えたあげく、やはり続けようと決意し、ルークと僕はアメリカに渡った。そこでラジオを聴 いてしばらく過ごすうち、もし、もう一度やるなら、異なったバンドとしてやり直さなくてはならないという結論を出し、それで Thunder を結成することにしたんだ。1989年4月、EMI と契約した時が Thunder のはじまりだった。

いま Thunder はインディペンデント・レーベルで、全てを自分たちでやっているけれど、遠隔地ではライセンスを許可した現地のレーベルに任せている。そうやって全てのプロセスに自ら目を通すのはアーティストにとって良いことだと思う。ルークは遥か昔からいつも音楽面の担当をしてきたし、エンジニアのベンは Thunder に入るずっと前から他のアーティストと仕事をしてきた。クリスはある日、デザイン部門に目覚め、カヴァー・アートを手がけてみたいと言ってきた。勿論いいけど下手くそなら使わないぞ、と返事したまま今に至ってる。それからハリーはドラム以外はこれといって何もしないけど、なにしろ膨大な時間を費やするプロのスモーカーだから、特別なんだ。

6番目の曲:Rolling Stones の "Start Me Up" について

Rolling Stones はロックンロールがあるべき姿をすべて要約してるんじゃないかと思う。個々には誰ひとり上手いとはいえないけれど、まとめて部屋に放り込んだら、 fantastic なノイズを作り出し、それがどういうわけか上手くいくんだ。まったく神のみぞ知る技だよ。2度見たライヴでは2度とも 「一体どうやって?」 と不思議で仕方なかったけど、それはすべて曲づくりのせいだ。その昔、僕のアパートでよくパーティをしたものだけど、どんな時もこの曲をかければ盛り上がること間違いなしだったし、最高クラスの1曲だと思う。

♪♪ ここで "Start Me Up" が流れて番組が終了です。

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*その後のQ&Aによりますと、残りの4曲というのはRobin Trower Band の "Day Of The Eagle"、スティーヴィー・ワンダーの "Superstition"、The Beatlesの "A Day In The Life"、それからマーヴィン・ゲイの "Let's Get It On" ということです。


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2008年7月14 - 17日開催 "The Hop, Skip And A Jump Tour" ブログ

Thinny による "Def Leppard / Whitesnake ツアー"のブログです。
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2008年7月14日 「Cardiff からハロー!」

「そう、THUNDER は再びツアーに出ているよ。今回は Def Leppard と Whitesnake と一緒にね。ツアーは今日、ラブリーな Cardiff で始まったばかりで、THUNDER はたった今、ステージを終えたところだけど、まあ、なんと素晴らしいショウだったんだろう。観客は、アリーナ中の全員が THUNDER のファンであるように聞こえたし、誰もが新旧とりまぜた曲の歌詞をすべて知っているように見えた。セットリストはこのツアーの終わりにお知らせするけど、言うまでもなく THUNDER のグレイテスト・ヒッツの詰まった45分だった。危うく、もう少しでルーク、ダニー、ベン抜きでやらなきゃならなかった、ということを思えば、悪くはないよ。彼らは一方通行の Cardiff 市内を走行中、さんざん迷ったらしく、それを役立たずのカーナビのせいにしてるけど、どうなんだか、本当のところは僕らの方がよく知ってるよね! ともかく、あんなにも温かくバンドを迎えてくれた Cardiff のファンのみなさん、どうもありがとう! 明日の Liverpool でのライヴが待ちきれないよ。さてと、バーが僕を呼んでることだし・・・」
The Thin Not Navigationally Challenged One


2008年7月16日 "Here I Blog Again On My Own… ♪ "

「さて、昨日15日の Liverpool は晴天だった。Cardiff から5時間というウンザリする程の長さのドライブを終えた僕らは全員かなり疲れていたけど、"悪人に休息ナシ" と言うからね。でも、この道中、僕は初めて Thunder の新しいアルバムをこの耳で聞いた、という事はここに書いておく価値があると思う。今はみんなに "エキサイトして待っていてね" とだけしか言えないけど、1回聞いたところではこの新譜、何か、まんざらでもない、スペシャルなものになるような気がする。この件については近々・・・。

ホテルで短い休憩の後、会場へ向かう時間となった。タクシー2台に分乗して出発したけれど、どちらもが道に迷い、20分後にようやく到着。楽屋では、メンバーの誰かの iPod をスピーカーにつないで騒々しく音楽をかけ、士気を盛り上げるというギグ前の儀式が恒例となっていて、今日はクリスが DJ の番。ということは、かなり多くの Tom Petty、Earth Wind & Fire、Foo Fighters、それに Jellyfish の曲がかかるということだ。

ちょうどこの時だった。マネージャーのマーク・ハリスが言ったのは。なんでも、"ベンのオルガン" が、まったく使えなくなってしまったと言うのだ。ただしマークが指していたのは、ベンには良い知らせでも、バンドには悪い知らせの、"ベンのハモンドオルガン" の方だった。(*オルガン= organには「臓器・器官」の意味もありますのでご想像ください)。これじゃ "Gimme Some Lovin'" が演奏できないことになる。そこで、替わりにどの曲を選ぶかが長々と討議され、候補にあがった "Backstreet Symphony"、"Higher Ground"、"You Can't Keep A Good Man Down" の内、最後の曲が選ばれ、みんなの "メモリー" を急いでリフレッシュするために、クリスが iPod でこの曲をかける。が、この曲の終わる頃、マークが部屋に飛び込んできて誇らしげに "問題は解決、クルーのブライアンがハモンドオルガンを生き返らせた" とアナウンス。ともかく、そんなこんなで "Gimme Some Lovin'" は無事に復活となった。

次に僕らに聞こえてきたのは他ならぬその人、デイヴィッド・カヴァデール氏の、部屋の外から朗々と響きわたる声だった。「ハロー、みんな今夜の調子はどうだい?」 部屋に入ってきたカヴァデール氏は実際よりもうんと大きく見え、その声は部屋にいた誰のよりも10倍は大きかった。バンドの全員と握手したあと、僕と握手するために近づいてきたところで、「誰だね、キミは?」と、明らかに初対面の僕にお尋ねになられた。「Thunder のウェブサイトをやってる者です」と答えたら、「なら、私は何故キミなんぞと握手しておるのかね?」とのお返事。これはとんだ失礼をば。ミスタ・カヴァデール、貴殿には屈服いたします。・・・マジで、その言葉はほんの冗談で、僕の隣に腰掛けたサー・デイヴィッドは Thunder のみんなと積もる話に興じていた。最後に Thunder と Whitesnake がステージを共にしたのは18年前のことだという。はやいものだね。

気が付くと、いつの間にかショウの開演時刻になっていて、PA システムからは "Thunderstruck" が大音量で流れている。Thunder は Echo アリーナが人々で埋め尽くされつつある頃、ステージに上がり、Cardiff と同じセットリストを演奏し始めた。観客は、最初は昨夜のショウほどに熱は入ってはいなかったけど、バンドはショウが進むにつれて徐々に、着実に、観客を引っぱり込んでいった。音は今夜の方が良かったけれど、それはこのアリーナにはより良い音響システムがあるからに過ぎない。( Cardiff の会場は、皮肉にも今日の Echo Arena より、もっと "エコー" がかかりやすいようだ)。ほんの40分程で Thunder の出番は終わってしまい、Whitesnake の最後と Def Leppard の最初の部分(どちらも素晴らしく聞こえた)を見る前に食事をとる。その後、ホテルに戻っておめかしをし、それから、お察しの通り、バーへ繰り出す。 ・・・続きは後ほど・・・。」
The Thin Not Worthy Web Guy One


2008年7月18日 "Let's Get, Let's Get, Let's Get, Let's Get Blogged! ♪ "

「 ええっと、この間はどこまで話したっけ・・・そうそう、バーに行ったところまでだった・・・じゃ、その先を続けるよ。

翌日はオフで、その大半を Liverpool から Nottingham への移動に費やし、Nottingham では少しショッピングなどした後、"The Curry Lounge" というラブリーなインド料理店で夕食。テレビを見る人ならば、ちょっと前に*ゴードン・ラムゼイの番組で紹介されていたから知っているかも知れないけど、この店は、出される料理も働く人もどちらも素晴らしいし、お薦めだよ。その後は、バーへ(・・・趣きを変えて?)、それから、翌朝の朝寝坊を楽しみに、ベッドへ。
*Gordon Ramsay ヨーロッパで人気の高いフレンチ・シェフ。ハイ・テンションのキャラクターが受けて、テレビ出演も多い。スコットランド出身。

そして、ギグ当日。ランチ時分になってようやく眼を覚まし、ひと息入れてから会場へ。まず最初に、地元の学校に通う子どもたちに会う。障害を持つ3人の子どもたちだけど、僕が今まで会った中で最もハッピーな子どもたちだった。すごくエキサイトしていたようだし、THUNDER のメンバーをとても気に入ったようだった。その上、エア・ギターの技を披露して僕らを感動させてくれた。じっさい、その後のステージで、(3人の中の)トーマス君が披露した動きのいくつかを盗んで真似していたルークを、僕はこの目でちゃんと見たよ! 

僕は、今夜はすべてのショウを見ようと決心した。THUNDER はもちろん今夜もまた絶好調だった。彼らがステージに上がった時はまだアリーナに入りつつある人もいたけれど、会場はすぐに人々で埋まった。今夜はソールド・アウトのショウだったし、このツアーでは一番ビッグなショウだった。そして今夜、このビッグな観客を前にしたビックなステージにいる THUNDER を眺めながら、"なんと彼らにふさわしい場所なんだろう" と思った。こういうステージこそ、彼らがいるべき所だ! 

それに、こういうタイプのショウはいつだって THUNDER の味方になってくれる。既にファンであり、歌詞のすべてを知っているという人たちがいれば、バンドの名前を聞いたこともない人たち、あるいは数曲だけは知っているという人たちもいる。しかし、ショウの終わりには誰もがダニーに思うように繰られることになり、そうして新しいファンが大勢生まれる。 THUNDER を見たあと、顔にスマイルを浮かべずに立ち去る人はいない。このサイトの掲示板の新しいメンバーの数や、他のウェブサイトに書かれたコメントを見れば分かることだけど、THUNDER はこのツアーを通してたくさんの新しい友だちを作った。"I Love You More Than Rock 'n' Roll" と共に、この短くともスイートなツアーは終わったけれど、観客の反応を見れば、大成功に終わったことは明らかだ。11月が楽しみだね。

次に登場したのは Whitesnake で、一曲目が終わる前に、もう女性用の下着が何枚かカヴァデール氏めがけて投げ込まれていた。どうやら、そういう魅力というのは、ある人にはあるものらしいね。バンドはちょうど良いタイトさで演奏し、僕は特にダグ・アルドリッチのギターに胸を打たれた。ヒット曲のすべてと、新譜からのかなりの数の曲が演奏されたけれど、僕個人としては、Whitesnake 初期の頃の曲をもう少し聞いてみたかったと思う。でもこういうツアーにはヒット曲のパレードがふさわしいんだろう。それでも、きっと "The Deeper The Love" のアコースティック・ヴァージョンなんかは素晴らしいアイデアだと思うんだけどね。もっとも、ほんの "ウェブ・ガイ" の僕に分かるはずはないか・・・

Def Leppard のステージは、彼ら得意のヒット曲満載の楽しいショウだった。バランスを取るために、新曲は2曲のみだったとはいえ、すばらしいヴァージョンの "Bringing On The Heartbreak" を含む、短いアコースティック・セットもあった。新譜からのベストだと僕が思う "Go" が今夜は演奏されなくて残念だったけど、全体としてとても楽しめるものだった。

こんなものかな。・・・終わってしまったね・・・でも、ホテルのバーはまだ開いてるから、殆ど終わり、ってところかな。Leppard のみんなと僕らは同じホテルだけど、バーにやってきたのは僕が気づいたところ、ジョー・エリオットだけだと思う。その場にいた顔見知りの人たちと一緒に腰を下ろしていたんだけど、いつの間にか、僕、ルーク、ジョーと彼らの友だちだけという小さなグループになっていた。さてさて、僕は今までずうっとダニーがイギリス一のおしゃべりだと思ってきたけれど、でもミスタ・エリオットという手ごわい競争相手が現れたよ。彼はおもしろい話をいくつも持っていて、彼とルークが、世の中(というより音楽ビジネスだね)を正そう、などと話すのを聞いているのはとても興味深いものだった。5時15分、僕らはついに引きあげることになった。朝には、というか、この週末じゅう、ずっと頭がズキズキすることを知りながら・・・。 」
The Thin Back In The Real World One

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Nottinghamでのショウの写真はこちらです。
http://www.thunderonline.com/jpserver/v ... _July_2008


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2007年7月14日開催 "Masters Of Rock" レポート

2007年7年14日、THUNDER はチェコで開かれた MASTERS OF ROCK フェスティバルに出演しました。これはダニーによるレポートです。
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「3月に、チェコでは初めての試みだったショウがキャンセルされたので、プロモーターがこのフェスティバルに THUNDER の名を加えたのにはちょっと驚いた。それに THUNDER の名がリストのかなり上にあったのには、もっと驚いた。

この夏、僕らは各地で行われるフェスティバルへの移動に、色々な方法を取ろうと決め、今回は、7月8日の Bospop のようにバスで行くのではなく、飛行機を利用することにした。British Airways の優しいお姉さん方は僕らのスーツケースやギター、ドラム、スペアのアンプを親切に扱ってくれたけれど、9人連れで25の荷物をチェックインするというのはかなり面白いものだった。フライトについては特筆することもないし、可もなく不可もなし。でも美味しいサンドイッチだったね。

ウイーン空港で英語を話さないチェコ人運転手の出迎えを受け、その後の4時間ほどを The Children Of Bodom というバンドと共にバスで過ごした。彼らはその名前通りにガキっぽくて、オシッコのために何回も車を停めるし、誰かが「ねぇ、まだ着かないのぉ?」と言うのを、僕は確かに一度は聞いた。僕にとってはこういう時が理想的な iPod タイムだ。

滞在した Moskvaホテルは、豪華な玄関や大理石の床など、古き良き時代の装飾を備え、昔の名残りをパーフェクトにとどめていた。スタッフも、その週末に出会ったすべての人と同じく親しみやすく優しい人たちだった。長旅のあと、僕らはシャワーでリフレッシュして、いつもの如く、不可欠な水分補給のためにバーへ行き、かなり愉快なひとときを過ごした。が、この先の詳細は書かない方が無難だろう・・・。

さて、土曜日。クルーの面々は、細かいことをチェックしたり、エンドースメントや、レンタルした機材にイライラさせられるために正午には会場へ向かって行った。バンドの面々はホテルを拠点にそれぞれ買物や惰眠、あるいはコンピュータで遊んで時間をついやし、ちょうど Sham 69(*THUNDER より2つ前に出演)の出番の頃にフェスティバル会場に着いた。その次に出演の Epica もその名前の通り "エピック" で、並外れた雄壮さであったが、とりわけ goring をするフロントマンがまさにそれだった。( goring というのは、ある種のバンドのフロントマンたちが、歌う代わりに喉から出す、モンスターのような "がなり声" を表す言葉だと、その方面に詳しい人から教わった)。

僕らの出番が近づいてきたが、Epica がうまくいったのを目撃していたので、バンド内にある程度の緊張感が生じた。こういうのは THUNDER にとっては珍しいことなので、かなり不安だったけれど、いざステージに立ってみれば、いつものように不安は消え去った。チェコの聴衆はひどい暑さだというのに、観客の99.9%は THUNDER が何者かも知らないというのに、最初からほんとに熱狂的で素晴らしく、僕らはブリリアントな時を過ごした。その後、Stratovarious(ちょっと Iron Maiden みたいだけど、いい感じだった)が演奏の間、あわただしかったとはいえ、とても気合の入ったサイン会もした。

ホテルに戻り、汗を流し、食事をして、その後はまたいつもの如く・・・なんだけど、イノセントな(あるいはそれ程イノセントでもない)誰かを護るためには、話をここで止めておいた方がいいかな・・・。

帰路は Children Of Bodom と一緒ではなかったので、時間が少しは短く感じたが、ウイーン空港はなんと35度の暑さだった。

ふり返ってみると、仕事というよりは楽しい週末を過ごした、という感じがする。8月の Cambridge でのショウまでライヴはないので、バンドはスタジオに戻ってせっせと仕事だ。あとでチェコでのいい写真がないかチェックして、何かあれば Thinny に載せてもらうことにしよう。」

ダニー

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写真が3枚アップされています。
http://www.thunderonline.com/site/index ... &Itemid=94


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2007来日記念アンケート 

楽しかった来日公演も終わり、THUNDER はイギリスに帰ってしまいましたが、バンド全員に短い質問に答えてもらいました。せっかくの日本公演なので、日本に関係したこともたずねています。それぞれの個性の光る答をお楽しみください。

1. Name/nicknames:
名前、ニックネームをどうぞ。

D Daniel Bowes aka Daz, Diz, Doz, Don, The Don, Dazza. Guv’nor. Mussolini.
ダニエル・ボウズ、またの名はダズ、ディズ、ドズ、ドン、ザ・ドン、ダッザ。ガヴナ(*親分の意)。ムッソリーニ。
 The Chairman, Luz, Luzza, Great, Lucifer. 
ザ・チェアマン、ラズ、ラッザ、グレイト、ルシファー。
H Harry/H/Hazza/Haz-the list is long! 
ハリー、エイチ、ハッザ、ハズ、と、リストは長いよ。
B Ben Matthews, Bez, The defendant.
ベン・マシューズ、べズ、ザ・デフェンダント(*被告人、被疑者の意)
C Chris Childs aka Chizza. 
クリス・チャイルズ、チッザともいう。

2. Three things you are wearing now:
いま身に着けている三つのものを挙げると?

D My Rolex, dangly earrings, and a smile. 
僕のローレックス、だらりと長~いイヤリング、それにスマイル。
 Missoni socks, Replay jeans, no underpants. 
ミッソーニの靴下、リプレイのジーンズ、下着はナシ。
H High heels, jeans and a tall hat (red). 
ハイヒール、ジーンズ、背の高い帽子(赤)。
B A watch, jeans, a smile. 
時計、ジーンズ、スマイル。
C Shorts, t-shirt, serious expression. 
短パン、Tシャツ、マジメな顔。

3. The last thing you ate/drank:
最後に食べたもの、飲んだものは?

D A Bento box (at a Japanese restaurant in London this afternoon), and my last drink was a lovely cup of tea. 
幕の内弁当(今日の午後、ロンドンの日本食レストランにて)、そして最後に飲んだのはラブリーな紅茶。
 Pasta, tea. 
パスタ、紅茶。
H Spaghetti Bolognese and a glass of milk. 
スパゲッティ・ボロネーゼとグラス1杯のミルク。
B Egg on toast and a cup of tea – it was this morning. 
目玉焼きがのったトーストと、紅茶を1杯-今朝のことだよ。
C Awful plane food on my flight back from holiday. 
休暇帰りのフライトでのまずい機内食。

4. Japanese people consider blood type to play a big part in determining personality type (sort of like astrological signs). Of course, it's not always accurate, but what is your blood type, if you know?
日本には血液型で(星占いのように)性格判断をする風潮があります。もちろん、いつも正解というわけではありませんが、みなさん、自分がどのタイプなのかご存知ですか?

D I’m afraid I don’t know what it is, but I know it’s not rare or anything. With my many hospital visits, I’d know by now if it was.
残念ながらどれなのかは知らないんだ。でも珍しいタイプなんかじゃないことは分かってる。これまで何回も病院には行ってるから、もしも珍しいタイプだとしたら、教えられてるはずだから。
 No idea, sorry.
分からない、ごめん。
H I have no idea but people have said I’m a typical Sagittarian.............
まったく分からないけど、みんなは僕が典型的な射手座タイプだと言うよ。
B O positive which is the universal donor – generous to a fault, that’s me.
Oプラス。つまり誰にでもあげられるという、めっちゃ気前がいいやつ。それが僕だよ。
C Don’t know.
知らないな。

5. If you could spend one extra non-working week in Japan, what would you do?
もしも、仕事抜きで一週間を日本で過ごせるとしたら、なにをしますか?

D I’d like to find a nice willing Japanese family and spend at least a whole day with each of them. It would be very interesting to see how they live their daily lives, how it varies from mine.
僕を快く受け入れてくれる日本人家庭を見つけて、家族の一人一人と、少なくとも一日を共に過ごしたい。彼らがどういうふうに毎日を過ごしているのか、僕の生活と比べてどういう違いがあるのかを知るのは、すごくおもしろいと思う。
 Visit historical sites, go to the beach, eat even more food, learn to be a Ninja, dress up like a Geisha!
歴史的な場所を訪れ、ビーチに行き、さらに食べ、忍者になる勉強をし、芸者に扮装する!
H I would love to take in more sights and sounds of Japan and drink lots of Saki.
もっと日本のあちこちを観光したいし、サケをたくさん飲みたい。
B Spend some time in Kyoto again, it was a fabulous place to visit. Then I would maybe relax at the hot spring in Hakone. 
前に訪れた京都が素敵なところだったから、もういちど行って時間を過ごす。それから箱根の温泉でリラックスしたい。
C Go to all the places that I’ve missed on previous visits.
これまでの日本滞在中に行けなかった所を全部まわりたい。

6. Are there any Japanese products that you wish were available in the UK? And vice versa?
「イギリスにもあったらいいのに」と思う日本のものは? またその反対は?

D That’s a hard one. To be honest if everything were available everywhere it would make it slightly less exciting to go there. For me the differences are the big part of the thrill.
難しい質問だね。正直なところ、もしすべてのものがどこででも手に入るとしたら、その土地へ行くことはそれほどエキサイティングじゃなくなると思う。僕にとっては文化の違いがぞくぞくする楽しみの大半を占めているから。
 The fantastic mixed sandwiches. Most Japanese products are available now in London.
あの美味しいミックスサンドだ。今では殆どの日本製品がロンドンでも手に入れることができるよ。
H On my previous visits to Japan I have seen mobile phones that I would have liked to buy-but they weren’t available here.
以前、日本に滞在中に、買いたいと思った携帯電話を見かけた。でもこれはイギリスでは売られていなかったね。
B I love the electronic toilets found in Japanese hotels – hours of fun for all the family. Vice versa? - There’s nothing here you need, trust me.
日本のホテルで見かけるハイテク・トイレが大好き。家族全員で何時間も楽しめるよ。その反対? イギリスには君たちが必要とするものなんて何もない、ホントだよ。
C Real good Japanese food in England would be nice, but vice versa – you’ve got everything!
質のいい本物の日本食がイギリスにあるといいと思う。でもその反対というと・・・日本には何だってあるよ!

7. If you could switch places for a day with anyone, who would you choose?
もしも、一日だけ誰か他の人になれるとしたら、誰を選びますか?

D George Bush. I’d show ‘em all.
ジョージ・ブッシュ。しかと、見せてやるよ。
 Harry James because then I could look at my own bottom while I was on stage!
ハリー・ジェイムス。そしたら、ステージでプレイ中の僕のお尻が見られるから。
H David Beckham-for the football, money and lifestyle. Not for his wife!
デイヴィッド・ベッカム。サッカーと富、それにライフスタイルのために。彼のワイフのために、じゃあないよ!
B My girlfriend, just to see what I’m like from her point of view.
僕のカノジョ。彼女の観点から、僕がどんな風に映るのかを見るために。
C George Bush, to see what’s actually going on in his mind.
ジョージ・ブッシュ。彼がいったい何を考えているのかを見るために。

8. If you could live your life again, would you choose the same job?
もしも、もう一度人生を生きることができるとしたら、同じ仕事を選びますか?

D Definitely, but I’d be a fabulous actor and dancer as well as a singer (more work options).
確実に。でもシンガーだけでなく、それはステキな俳優やダンサーにもなれると思う(仕事の選択肢を広げて、と)。
 I'd like to be a pro soccer player 18 - 30, then a rock star 31 - 50 and then join the Senior golf tour!
18才から30才はプロのサッカー選手で、そのあと31才から50才はロックスター、それからシニアのプロゴルファーだ!
H Of course I would. It’s great doing something you enjoy every day.
もちろんそうするよ。毎日、自分が楽しめることをするなんて素晴らしいことだからね。
B Absolutely.
絶対だよ。
C Absolutely.
間違いなく。

9. If you were a crayon, what colour would you be?
もしも、あなたがクレヨンだったら、何色になると思いますか?

D Dark blue. It’s the only crayon worth being these days.
濃いブルー。なってみる価値のあるクレヨンは今じゃこれだけだよ。
 Probably red like my hair.
おそらく僕の髪の色のような赤。
H Probably red? It’s my favorite colour. And I’d write everywhere............
たぶん赤かな? お気に入りの色だし、これであちこちに落書きするよ・・・・
B White, useless most of the time.
白、ほとんど役立たずだから。
C Pink.
ピンク。

10. As of today, what is your favorite song to play from RJT? And why?
「Robert Johnson's Tombstone」アルバムの中で、きょう現在、ライヴで演奏するのが一番好きな曲はどれですか? その理由は?

D My Darkest Hour. It's so different to anything else we do + it gives me a chance to get my breath back...
My Darkest Hour。THUNDER のほかの曲とは随分違うし、僕に息つくチャンスをくれるから。
 "RJT" because it's so exciting + I get to play harmonica a lot!
とってもエキサイティングだし、たくさんハーモニカが吹けるから"RJT"。
H The Devil Made Me Do It-he did you know! Great song to play-Party vibe!
The Devil Made Me Do It - ほんとに彼はそうしたんだよ! パーティ気分だし演奏するのが楽しい曲!
B Robert Johnson's Tombstone as it encompasses a variety of guitar techniques.
色んなギター・テクニックが含まれてるから Robert Johnson's Tombstone だね。
C My Darkest Hour, because I think it's one of Luke's best songs.
ルークのベスト・ソングの内の一つだと思うから My Darkest Hour。

11. Was it any different to have Japanese fans watching your soundchecks?
今回のツアーでは日本のファンがサウンドチェック風景を見学していましたが、いつもと何か違いはありましたか?

D It's a bit strange, but they seemed to enjoy it, so it's OK for me.
ちょっと変な感じだけど、ファンは楽しんでるようだったから僕はOKだよ。
 Not really. It's nice to see a few smiling faces.
別になにもなかった。笑顔のファンを見るのはいいね。
H Yes it was. It was good to soundcheck in front of an audiences. I think the Japanese fans enjoyed watching us getting some songs wrong!! Ha Ha!!
うん、違ったよ。オーディエンスの前でのサウンドチェックは楽しかった。日本のファンは僕たちが曲をトチるところを見てエンジョイしたと思う!! ハハ!!
B It was fun and I think the band played up to it.
楽しかったし、バンドも期待に沿ったと思う。
C It was nice to have them there, so that they could see what goes on, and how much fun we have.
ファンを迎えたのはナイスだった。僕たちがどんなことをしているか、どんなに楽しくやっているか、見てもらえたから。

12. During this last Japan tour, did anything memorable/funny happen to any of the band members (that you can share)?
今回の日本滞在の間に、メンバーのどなたかに、何か忘れられない、あるいは、愉快なことが起きましたか?

D Coming to Japan is always eventful. The over weight alarm went off every time Harry walked into a lift, even if he was first! (not really).
日本へ来るといつも多くの出来事が起きるけれど、今回はハリーがエレベーターに乗り込むたびに重量オーバーのアラームが鳴った。彼が一番に乗り込んだとしても、だよ!(ウソ)。
 Yes but I'm not telling you!
イエス、でも教えないよ!
H Every lift I got into (whether I was first of last!)seemed to dislike me? The alarm went off! What's that all about?
僕が乗る(一番にだろうと、最後にだろうと関係なく!)エレベーターのどれもが僕を嫌ってたみたい? アラームが鳴るんだよ! 一体なんだったんだ?
B Harry seemed to have a lot of trouble with elevators this year. He set the alarm off several times.
ハリーは今年エレベーターと随分とトラブルがあるみたいで、何度もアラームを鳴らしてた。
C Can't tell you!
内緒だよ!

PLEASE WRITE A MESSAGE FOR THE JAPANESE FANS
日本のファンにメッセージをお願いします。

D As always it's been fab to see you. You always make the shows so enjoyable. We hope you liked the set lists. See you soon.
いつもそうだけど、日本のみんなに会えるのは素晴らしい。君たちはショウをとても楽しめるものにしてくれるからね。あのセットリストを気に入ってくれてたらいいんだけど。それじゃ、またね。
 I love you all and you can all come round for a cup of tea!
君たちのこと大好きだし、みんな揃ってお茶に来てくれていいよ!
H It was fantastic to be here again in Japan. The shows were great thank you. See you again.
日本に再びやってきてファンタスティックだった。ショウは素晴らしかったし、みんなに感謝するよ。また会おうね。
B Thanks for being such great hosts, see you next time.
なんとも素晴らしいもてなしをありがとう。またこの次、会おうね。
C Yet again, what a pleasure it is to be here, especially in the summer. Thanks to everyone that came to see us, hope we're back again next year!
ここに再びいるなんてホントに光栄だよ、特に夏はね。僕たちを見にきてくれたみんな、ありがとう。また来年戻ってこれることを期待しているよ。


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PostPosted: Wed Oct 27, 2010 11:48 am 
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2007来日公演レポート by ダニー

2007年9月15日(土):「日本からこんにちは!」- 手みじかなレポート

再び日本に到来。暑い、ほんとに相当な暑さだ。

13日の夕方、ヒースローを飛び立ち、翌日の午後、大阪に到着。関西空港から出てみると大気はものすごい湿気を含んでいて、まるで熱いおしぼりを通して呼吸しているような感じだった。大々的にエアコンに感謝。

空港から街までは1時間ほどの筈なのに、交通量は一向に減らず、90分以上かけてようやくホテルに到着した。全36階という実に大型のこのホテルには広々としたロビーがあるのというのに、部屋は小さい。(どうしてこんなことに?)

いつものように、到着一時間後にはプロダクション・チームとのミーティングが始まったが、長いフライトと時差等のために、当たり前だが全員、ぼんやり・・・。技術面の細々とした事がらが話し合われ、その後は夕食と大阪ナイト・ライフの時間となる。が、その場にいた無罪潔白、またそれ程でもない誰かの対面を汚さないために、この話はここでストップしておこう。

大阪での土曜のショウは、厳しい暑さと、僕の喉にとっては理想的な湿気の中で開かれた。日本人スタッフの能率の良さは言葉の意味そのままで、レンタルした機材にはどれほどの問題もなかった。

今日はプロモーター主催の "サウンドチェックの最後の20分を見学できる" というコンペの当選者を招待した初日だった。いつものように曲を色々とやっていくのだが、30人ばかりのファンが見ている前のことなので、奇妙な感じは否めない。彼らは一曲目が終わると拍手をしてくれたが、その気持ちは分かるとはいえ、ちょっと変な感じだった。それでもいつもの要領で、トチったり、きちんとやったり、途中でストップしてしまったカヴァー曲等を演奏して終了した。見学のファンに手早くハロー!と挨拶し、最終的な準備のために楽屋に退いた。ショウ後の meet & greet では何人かのファンが、リラックス・モードのバンドを見られてとても楽しかったと言ってくれた。こういう企画がウケるのかどうか、僕には分からないけど・・・。

ショウは暑くて汗だくだったけれど、大阪の観客はものすごくて、アッという間に終わってしまった。ということは、とてもエンジョイできたショウであったのに間違いはない。ただ、ルークのギターとワイヤレス・システムに問題が起き、ショウの間中、彼はずっと落ち着かない様子だったが、後に、その原因はギターのドライ・ジョイント(*ハンダで接合されていた部分がヒビ割れた状態)だったことが分かり、避けようのないものだったから、彼を気の毒に思った。

いつものように、プレゼントや写真撮影等でつつがなく meet & greet を終えた後、待ちわびた夕食のために急いで会場を後にした。全員が腹ペコだったけれど、ここまで騒々しい所も初めて、というレストランには、運よく、美味しい日本食がたくさんおいてあった。レストランを出たところで何人かのファンに出会ったが(どうやって場所が分かったんだろう?)全員うきうきしていて、とてもナイスだった。

明日は東京へ向かうけれど、雨で涼しくなるという噂を聞いた。さてどうなることやら。
いま、"眉毛パーマ" に出かけるところだから(*原文が I'm off to per my eyebrows となっていますので)、続きは後ほど・・・。

バイ。

2007年9月16日(日):日本からのレポート第二弾

ふたたびハロー! めちゃくちゃ暑い東京からのレポートだよ。

雨が降って気温も下がると言っていたのに、天気予報キャスターはイギリスと同じで、明らかに役立たずで当てにならない。目を覚ましたら、より蒸し暑くて汗でベトベトだった。

ロビーでの集合が早すぎる時間ではなかったので誰にも問題はなかった(珍しい)。新幹線は通常通り定刻に発車、すごいスピードで走り、ほんの数秒かと思われる内に東京に着いた。そのまま今日のショウの会場であるクラブ・チッタに直行。ここにはサウンドチェックのための機材がすでに用意されていた。本当に素晴らしいクラブであり、すべてがうまく設計されているので、ただ、なにもかもが適切であるとしか言いようがない。

サウンドチェックではいくつかのカヴァー曲や、長い間演奏していなかったためにサビ付き具合もいろいろな曲をいくつかを演奏し、本番で演奏されるべき曲もおのずと現れてきて、すべてがうまく運んだ。ショウは(再び)極度に暑くて汗だらけで、観客は(再び)驚くばかりにすばらしく、ことによると大阪よりもさらに熱狂的だったかもしれない。(もしそんなことがが可能であるならね)。

アフターショウについては、いつものように、エキサイトしたファンたちと共に大変楽しく過ごしたこと以外、特にレポートする事はない。夕食は川崎にあるラブリーなレストランで、ラブリーなスタッフと一緒に美味しい焼肉。ショウの二つが終わり、残すは一つ、今回はちょっとせわしない駆け足ツアーだけれど、再び日本にいるのは、とても嬉しい。

2007年9月17日(月):日本からのレポート第三弾 

本日、3日目。天気はというと、ますます暑く、ネチネチした菓子パンに虫がベッタリくっついて動けない、なんていうより、さらに湿気が多くてベトベトだ。

ルークとベン、そして僕の3人は90分のプロモ仕事をこなすために他のみんなより早く出かけなければならず、ランチタイムの12時半には会場入りしていた。雑誌やテレビのインタビューを受け、お馴染みの「ハロー! 僕の名はダニー、君がいま聞いてるのは BUM FM ラジオで・・・」などという "ID" を何度も吹きこんだ。日本に来ると、僕たちと話をしたい、という人がたくさんいて嬉しい。だから時差ボケや二日酔いがあろうと、ここにいるのは楽しい。

今日のサウンドチェックは可笑しかった。演奏しなれていない曲や、古い曲のリハーサルが済んだところにコンペの当選者が入ってきたので、何をすべきか、困ってしまったんだ。それで、夜の本番用に予定していた曲を演奏して "サプライズ" を台なしにする代わりに Bad Company のグレイテスト・ヒッツを即興でやり始めた。長年やっていなかった、随分と古い何曲かを思いっきり演奏するのはおもしろく、その内の一曲はアンコールの中に入れたほどだ。

ショウは上出来で、前の二度のショウと同じく観客は驚くほどすばらしかった。バンドは演奏しなれていない曲のあちこちで危ない瞬間が多少あったけれど、これが、ある程度の緊張感を生み、ひどい結果、あるいは抜群にいい結果を出す。胸に手をのせ誓って言うと、今夜はそのどちらをも少しずつやったと言わなきゃならない。でも、気が付いたのはバンドだけだったと思う・・・。

夕食は、映画 「 Kill Bill 」 第一作中、レストランでの "斬りまくり" シーンで使われたセットのアイデアの元になったといわれる有名なレストランにて。Fab!

そしてツアーの最後の夜ということで、夕食の後はかなり "プロ" な飲み会が続いた。きっと明日はまた、かなり "プロ" な二日酔いが待ち受けていることだろう・・・。

ダニー


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